トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

グラゼニと将棋の駒

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グラゼニという漫画がある。これは野球漫画ではあるもののタイトルが「グラウンドにはゼニが埋まっている」に由来していることからも分かる通り、テーマは野球ではなく野球選手のお金にまつわる話が中心となっている異色の漫画である。(そのため主人公も連載開始時点では高卒5年目、年収1,800万円の中継ぎピッチャーというあまり華やかでない設定である。)

 

この中である場面がとても印象的であった。具体的にはある主人公が新人の頃にリリーフに失敗して落ち込んでいたときに、チームのエースが「監督は選手を将棋の駒と思っており選手が何か失敗しても駒を責めるのではなく『この駒をこの場面で指した自分が悪い』と考える。だから大して気にしなくていい」といったようなことを言うのである。これは野球に限らずコンサルティングにおいても該当すると思っているし、またより広く大半の仕事でも当てはまることではないかと考えている。

 

少なくとも私自身、チームに何かをお願いしたとしてもそれが上手くいかなかったとしてもそのように考えている(つもりである)。もちろん各職位や役職にはそれぞれ求められる水準があり、それは満たしていて欲しいとは思うが、それが満たされていなかったとしても各個人を責めるというよりはその実力を見抜けなかった自分が悪いと思うようにはしている。

 

もちろんこれは全ての関係で当てはまると考えている。アソシエイトーマネージャーの関係はもちろん、マネージャーープリンシパルプリンシパルーパートナー、パートナーーシニアパートナーでも同じであるし、シニアパートナーであってもエグゼクティブコミッティーとは同様の関係が当てはまると思っている。

 

そのためジュニアなうちは過度に失敗を恐れずにベストを尽くしそれでもダメだったら自分を責め必要はないと思っている。もちろん原則としては以前に書いた通り全てを他人事ではなく自分事と考えるラストマンシップを持つべきではある(以前のエントリを参照)。「雨が降るのも自分のせい」なのである。しかし物事を原理原則で突き詰めすぎるとやはり精神的に負荷が高くなりすぎるときもあるのである。そんなときはラストマンシップとは真逆の上記の発想をすることで自分自身に対して精神的な逃げ場を用意しておくことも必要であると考えている。

 

ラストマンシップと将棋の駒の二面性を持つべきであると思っている。