トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

未開の島で靴を売る

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マーケティングの教科書で下記のような逸話をよく目にする。

 

「二人の靴のセールスマンがある未開の島に市場調査に行った。一人のセールスマンは『この島の住人は誰も靴を履いていないので靴のニーズはありません』と述べ、もう一人のセールスマンは『この島の住人は誰も靴を履いていないから靴を売れる機会は大きいです』と述べた。」

 

日本の経営コンサルティングはまさに上記のような具合であると考えられる。そして真実はおそらくはその中間のどこか、つまり欧米ほどは普及しないかもしれないが、今は明かに普及率が潜在的なニーズに比べて低い、だと私は考えている。実際に様々なデータを見ても日本の経営コンサルティング業界の市場規模は伸びていると考えられる。(人によっては「経営コンサルティングファーム が『経営コンサルティング以外』を手掛け始めたから伸びている」と言う人もいるが、個人的にはこの意見には賛同しない。)

 

欧州の比較的小さいある国のパートナーは「一定規模以上の企業なんて数十社しかないため全部の企業と何回も話はしている」と言っていた。一方でドイツのような経営コンサルティング業界が成熟している国ではクライアントとなりうる企業こそ多いものの、コンサルティングファームも大いいので中堅どころと呼ばれるような規模の企業を含めてコンサルティングファーム各社が経営者詣をしているような状況である。イメージとしては日本でいえば東京、名古屋、大阪、福岡、仙台には支社があり、それとは別に広島、神戸に出張所がある、といった具合で大手の各コンサルティングファームは支社・出張所を展開している。実際にマッキンゼー とBCGはそれぞれドイツには7拠点、ローランドベルガーも6拠点の事務所を構えている。そのため各コンサルティングファームは何回も訪れた企業で何かイベント(例えば社長が変わった、など)が発生していないかに目を向けて提案機会を探しているような印象である。

 

一方で日本では売上高3,000億円以上の企業は500社近く、1,000億円以上の企業は1,000社近く存在しており、これらを一人のシニアパートナーと二人のパートナーで1チームとし1チームで10社カバーできるにしても、売上高1,000億円以上の企業をカバーするためには100チーム、300人のパートナーが必要となる。大企業であれば一つの部門が一つの企業のような形になるので実際には500-1,000人くらいのパートナーが必要となるだろう。そしてこれだけの数のパートナーは日本には存在しないのである。

 

そのためもし経営コンサルティングファームの動きを「営業」という観点で捉え、仮にグローバルの「営業本部長」(そのような人は実際には存在しない)が日本のパートナー達と議論するなら下記のような会話となるだろう。

 

本部長(以下本)「この大企業A社はオレでも知っているぞ。ウチ会っているのか?」
日本人パートナー(以下日)「7年前くらに提案を断られて以来、会っていないですね」
本「…分かった。ではこの大企業B社はどうだ?」
日「ここは競合がサーブしているようなので優先順位を落としていますね。」
本「…。じゃあこの大企業C社はどうだ?かなり売上は大きいぞ。」
日「C社ですか。社長がクセがあるし、他で忙しいから会っていないんですよ。」
本「…。じゃあお前達は一体何をやっているんだ?」
日「今のクライアントで手一杯ですよ。稼働も高いし問題ないじゃないですか。」
本「…。」

 

そしてこの営業本部長からすると過去に断られようが競合がいようが社長がクセがあろうがとにかく定期的に会って支援領域がないのか、何か経営課題はないのかを議論するべきだし、またプロジェクトにならなくても様々な知見の紹介などを定期的にするためにもとにかく会うべきであると考えるだろう。

 

もちろん原理原則としては経営コンサルティングファームは「営業」はしてはならないし、このような営業本部長などはそもそも役職として存在しない。しかしデフォルメするとコンサルティングファームの各社では上記に似たようなことが起きていると考えられる。

 

言いたいのは日本においては経営コンサルティングファーム潜在的なニーズは相当大きく、欧米などのパートナーからすると垂涎モノである。しかし一方でその潜在ニーズを捉えるためにはパートナーのキャパシティが明かに不足しているのである。このように考えるとまだまだ日本の経営コンサルティング業界にはチャンスがあるのである。そして戦略論的に考えれば、戦略の基本は「とにかく伸びている業界に身を置くことが大事」であることを考えると、個人のキャリアの戦略論としても”Where to play”の観点ではコンサルティング業界は悪くないのではないかと考えている。