トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

ネットの「炎上」に関して

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単なる雑感。ただし長文。

 

インターネット(主にツイッター)では定期的に「炎上」が起きる。

 

いくらかの炎上を見ていると基本的な構図としては、
①ある人・組織の行動・言動に対して複数の人が批判し
②それが拡散し「炎上側」の過去の発言などが洗い出されさらに攻撃的に批判され
③最終的には批判だけでなく単なる悪口・暴言を受ける、
といった具合に見える。

 

ただタチが悪いことに①、②に関しては正論であり、客観的に見ていると「攻撃側」が正しいように見えるのである。結局のところインターネットはまだ文字情報が中心であるため論理がコミュニケーションの基本であるため「攻撃側」の意見は論理的に正しいことが多い。

 

ただしいくら論理的には正しかったとしても、そのような正論を用いて否定的な批判(デジタル大辞泉によると批判とは「①物事に検討を加えて、判定・評価すること。②人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること」である)をすることの目的は「『炎上側』を攻撃すること」にあるように見える。ただ「炎上」する方もある面では普段から人をバカにする考えや高慢な態度が見え隠れしているため、(無関係なネット上の他人が)その人のことを「イケ好かない」と思っているのだろう。だからこそ隙を見せたら普段の鬱憤をぶつけようと一気に火がつくのだと思われる。特に大きな「炎上事件」ではある人・組織が普段から「なんかあいつ気に入らない」と思われたところに、その人・組織が失言し、ここぞとばかりに攻撃してくる、という場合が多いように見える。スクリーンショットを撮ったり鍵アカウントなどで本人に気付かれない形で批判するのはほとんど中学生の陰湿ないじめと変わらない。

 

しかし完璧な聖人君子などというものは多分存在しないし、誰にだって多かれ少なかれ必ずしも尊敬されない側面はあるだろう。そのためネットで発言すればどこかで尊敬されない側面が露呈し「炎上」する可能性は誰にだってある。「炎上が嫌ならネットで発言するな」という意見は(これまた)正論であり確かにネットで発言しなければ「炎上」するリスクはほとんどなくなるだろう。言論の自由が保障されている国においては犯罪にならない限りにおいては何を言っても自由であり、人が異なる意見や価値観を持っている以上はネットで発言することはある意味でネットの「炎上」するリスクを覚悟しなければならないのである。世の中は残念ながら優しい世界ではないのである。

 

私自身は「炎上」はしたことはないと思っているがそれでもネット上で攻撃的なツイートをされたこともある。もしかしたらスクショがどこかで出回っているかもしれない。そういったことの大半は私が知らない人からであるが、中には自分が知っている人からもされたこともあり、いずれにせよそれは決して心地よくないことである。本来ならば「ネットで何を言われても全く気にしない」と思える器でありたいと思っているし表面上はそのように振る舞うときもあるが、やはりそこまでは本心では思えないものである。

 

しかし私は自分が「炎上側」になることよりも「攻撃側」になってしまうことの方がはるかに怖いことだと思っている。ネットはその性質上、簡単に「攻撃」に加担できてしまう。「安全地帯」から誰かを攻撃することは(これまた残念ながらよほどの聖人君子でない限り)瞬間的には快感なのである。そのため知らず知らずのうちに自分が自然に誰かを攻撃する姿勢が身についてしまうのである。しかし以前にも書いた通りこのような姿勢は必ず自分に跳ね返ってくる。これは何も因果応報のような話ではなく、もっと現実的な次元の話である。ネット人格とリアル人格は本質的には分離不能であり、ネット上で攻撃していたらそれはリアルの人格の発言や行動や表情から滲み出るのである。そのため人をネット上で「攻撃」することには麻薬的な性質があるのである。本人は批判をしているつもりでも、その目的を考えると実態は攻撃であることが多い。

 

だからこそ自分の人格を維持する上でもネットでの振る舞いは本当に大事である。「炎上」にはもちろん一切加担しないし、また何か否定的な物事を書くことにも細心の注意を払うべきだろう。また誰しも美しくない側面がある以上は気付くと攻撃をしてしまっていることもあるため、その性質を理解し自分自身の行動を定期的に自省する必要があるだろう。

 

「炎上」を見ているとそんなことを考えさせられる。