トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

カワイイという表現について

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コンサルティングとは無関係の極私的な考え。

 

私は「カワイイ」という単語を絶対に使わないようにしている。私がこの単語を使わない理由の一つとして表現としてこの言葉は稚拙であることが挙げられるが、より根本的にはこの単語を使うことで「外見至上主義」に加担しているように思えてしまうからである。(そもそも私は人を「美人である」といった形で外見の表現をしており、それも外見至上主義に加担していると言われればそれまでである。)

 

これはあくまでも私の感覚であるが、少なくともここ20年くらいは外見、特に女性の外見が過度に話題にされている印象がある。外見で人は過度に評価されている、と言い換えてもいいかもしれない。私はこれを外見至上主義と呼んでおり、結果として少なくない女性が自分の外見に関して負の感情を抱く経験をしているように思える。そしてこのような外見至上主義を象徴する単語が「カワイイ」であると思っている。(繰り返すがあくまでも私の感覚である。)

 

そのためこの「カワイイ」という単語を使うと私自身も外見至上主義に加担し、結果としてなんらかの形で人を不快な思いをさせている、もっと言えば傷つけてしまっているのではないかと思えるため私はこの単語を絶対に使わないようにしている。(小さくて愛らしい状態を示す「可愛い」という単語は私は使う。)

 

私がこの単語を使おうが使うまいがもちろん世界は変わらないし、そもそも本当にこの単語によって人が不快に思っているかどうかも不明である。むしろプラスの効果の方が大きいかもしれない。またこの単語を使う人を批判したいわけでもない。私がこの単語を使わないのはあくまでも自分自身の中のこだわり、つまりは価値観の問題である。価値観という意味では外見至上主義というものが仮に存在しているとしても、それもまた一つの価値観であるためそこには善い・悪いという評価は価値観である以上できないはずである。そして価値観に対して個人ができることはせいぜいそれに共感するか、しないか、無関心を示すかくらいであり、私は共感しない、というだけである。ただもしも私が「カワイイ」という単語を使わないことによって一人でも傷つくことを減らせていたとしたら、それは自分にとっては喜ばしいことである。

 

このようなことを考えているために、私は「カワイイ」という単語を絶対に使わないのである。(再三にわたって述べるがこれはあくまでも一つの主観的な考え方である。)