トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

芸風の伸ばし方

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昨日の芸風のエントリに関連して芸風の習得方法に関して少し意見を述べていきたい。ただし芸風は定義上その人にしかできないことなので習得方法もいくつかの類型化はできなくはないだろうが芸風同様に習得方法もまた個人に大きく依存するのではないかと思っている。あくまでも自分の芸風の確立の仕方で意識したことを書いてみる。

 

私自身、アソシエイトの中頃から自分の芸風というものをかなり意識するようになった。その際に特に重要視したのは(以前にも書いたが)自分にとって自然体な話し方をすることである。居酒屋で自分がノッて喋れているな、と感じられるような喋り方と仕事の喋り方に乖離があったら、それは仕事では自分にとって不自然な話し方をしていることを示唆しており、それはまた相手に言いたいことが伝わっていない(聴いてもらえていない)可能性が高い。特に新卒プロフェッショナルファーム組の人たちは「丁寧な言葉遣いだけれど、全く頭に入らない喋る方」をしてしまう人が多い傾向である。そのためアソシエイトのころは自分のノッている姿をイメージし、クライアントとの会議の後などにどれだけ乖離があったのかを確認するようにしていた。そのような習慣をするようようになってから1年くらいではだいぶ自分のイメージと実際の喋り方の乖離がなくなってきた。

 

また関連して当たり前であるが自分が信じていることしか話さないということも大事である。プロジェクトをやると中には自分はそう思えないけれども「エライ人」がそのように資料に記載しそのように話せ、と言ってくる場合もなくはない。しかしそれは絶対に避けなければならない。どうしても自分が腹落ちしていないならば、①自分の中で腹落ちするまで考える、②腹落ちしていないことをチームと納得するまで議論する、③それでも納得できないなら自分が信じられない箇所は端折って話さない、というステップを経るのがいいだろう。

 

次に(これも何回かエントリに書いたことではあるが)とにかく感情を乗せることである。面白いものは面白がり、憤っているときは憤りを表現するのである。私はコミュニケーションは感情がないと伝わらない、とい強い仮説(確信と言ってもいい)を持っているのである。そのため意識的に自分が喋ろうとしている個別の物事に対して自分がどのような感情を抱いているのかを考えることがいいだろう。これをあるシニアパートナーは「スライドの喜怒哀楽を考えろ」と表現しいた。(ただしこのシニアパートナーはどちらかというと聴き手の喜怒哀楽を考えろ、ということではあった。)

 

このように自分が納得し感情が乗せられるようになるためには十分にインテリジェンスが練りこまれている必要がある。言い換えるとそれだけ事前に時間を掛けて考えなければならないのである。ある人は一見同じようなことでも「10分考えて10分で伝えることと10年考えたことを10分で伝えるのでは迫力が全く違う」というようなことを言っていた。特に自分は人の機微を見ながら話すのではなく、中身の面白さで勝負する典型的な「コンテンツガイ」の芸風なのでとにかく考えが練り込まれていることが大事である。そしてその考えはいくつかの原理原則や価値観といった根本的な思想に通じているべきである。自分なりの事業戦略に関する信念、仕事の価値観、他人との関係構築の根本思想なりと根底では繋がっている必要がある。それができれば圧倒的に話に厚みが出る。

 

最後にこれは自分の芸風の特徴の一つであるが、No BS (bull-shit)であることを意識している。つまり一見多少失礼であっても、理屈が成り立っておりかつそれが意味あると信じられるならばかなり率直に(多少言葉遣いは悪くても)言うようなやり方である。例えば自分よりも年次の浅い人が何かクライアントとの会議で丁寧だけれどややまどろっこしい説明をしたときは「要するに、皆さんでこれを早くやって下さい、と我々はお伝えしたいのです」と補足をしたり「理屈の上では、今のやり方だと失敗する可能性が高い、と言えます」という言い方をしたり「こういう言い方をすると、もしかしたら皆さんはコンサルなんて全然役に立たないと思うかもしれませんが」というような言い方である。どれももっと丁寧な表現もできるかもしれないが、それよりも砕けた日常会話の表現を用いることでBSなしで本当に言いたいことを言うという芸風を取っている。これも上記の「自分が信じられることだけを話す」ということと通じるものがある。感情が乗っており、それなりの思想に基づいて自分が納得していることだけを包み隠さずに話すと一見失礼に聞こえることでも相手は納得すると私は信じているしそのような芸風を私は目指している。

 

やや取り留めがなくなったがこれらが私が自分の芸風の根本を確立する上で意識したこと(の一部)である。