トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

世の中は合理的になる

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私は世の中(少なくとも先進国)では「物事はどんどんと合理的になる」という大きなトレンドが存在するという仮説を持っている。例えば服装。ネクタイやスーツなどは実用性の観点からは全く合理的ではなく、過去の習慣とフォーマリティのために今日存在しているのであって、徐々になくなると思っている。カジュアルな格好は単純に楽なのでありスーツやネクタイはそれに勝てないのである。あるいはメール。メールもチャット的なコミュニケーションに比べたら回りくどく時間が掛かるため必ずしも合理的なものではなく、徐々にスラックのようなものに代替されると考えている。少なくともプライベートではもはや大半のコミュニケーションはメールではなくチャットの人が多いのではないだろうか?実際にある外資系のIT企業のクライアントはメールではなくWhatsAppで連絡をしてくる人もいる。もちろん、詳細な連絡をするためにメールも必要ではありなくなるとは思わないが利用の頻度は下がると思っている。お歳暮や年賀状のようなものも(一定の合理性があることは否定しないが)やはりどんどんとなくなっていくだろう。証明書といった書類も当たり前だがデジタル化がすすむだろう。

 

結局のところ競争が激化し特に新興の国や企業と競争するためには合理的になり生産性を挙げなければならないと考えている。古い企業が全く新興企業と同じ価値を出していたとしても、新興の競合たちは過去のフォーマリティや過去には合理的であった習慣などは一切持っていないのに対して古い企業がそのようなフォーマリティや習慣に時間を掛ければそれに使う時間だけ生産性は理論上、落ちるはずである。もちろん上記はかなり雑な考え方であることは重々理解している。いくらでも例外はあるだろう。しかし大きな社会的な流れとしてはこのような考え方もできるのではないだろうか。

 

このエントリで本当に言いたいことは「物事が合理的になる」ということではなく、このようなマクロ的な仮説を持つ習慣を身につけるべき、ということである。このような見方は個別には反例はいくらでも見つかるかもしれないが、大きな流れとしては確かに存在し、かつそのようなレンズでみると一見無関係に見えるさまざまな現象が同じ視点で説明できるようになる、ということである。(一部の株式投資家はこのような見方が優れている。)このような視点を身につけるのは簡単なことではないが、日頃から意識することで徐々に独自の視点を持てるようになると思っている。そのような習慣を身につけるのは悪くはないだろう。