トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

負け犬・勝ち犬という括り

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00年代前半に酒井順子氏のエッセーに「負け犬の遠吠え」は話題になった。これは30歳以上の未婚・子なしの女性はどんなに仕事ができようが、お金を持っていようが、美人であろうが、「負け犬」であると定義し、既婚・子ありの女性(=「勝ち犬」)との対比をしたエッセーである。この本の前書きで著者は人を勝ち・負けの二分するのはナンセンスであるが、だからこそ面白かったりもする、といった旨を述べている。私はこれは示唆深い視点だと思っている。確かに人は個人個人によって違う存在であるが、ある集団を切り出してそれらの集団をある観点では同質なものとして語ると分かりやすさがあり結果として面白おかしなストーリーを作りやすい。そして多少強引であってもそのように分類するからこそ取るべき行動もその集団に応じて変えられるため価値がでる。マーケットのセグメンテーションにしろ、BCGのプロダクトポートフォリオマトリクスにしろ、どれも同じだろう。

 

ただ一方でこのようにものごと、特に人に関しての括りはやはり気を付けるべきであると思っている。O型の人は、日本人は、官僚は、商社マンは、男/女は、慶應生は、など独自な括りではなく表層的な括りをするのは雑すぎる場合が多い。また仮にそうであったとしてもコミュニケーションには十分に配慮するべきではあるだろう。なぜならば人は何らかに括られると反発をしたくなる傾向があるためである。「自分はそんなに単純ではない、お前に私の何が分かる」といった感情が芽生えやさいのである。

 

何かを括るのであれば、その切り口は十分に吟味するべきであるし、またあくまでもある側面、といった考え方をするべきであろう。そして人は括られることを嫌う傾向があるということを頭に入れ、コミュニケーションには気を付けるべきである。ただし一方で多少強引であっても括ることの価値もまた忘れてはならないのである。それによって行動が規定ができるからである。結局のところはバランスの問題であるがこれらは念頭に置いておいても悪くはないだろう。