トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

夢とは何か

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私は日常を楽しく過ごすためには夢があることは大事だと思っている。例えその夢が実現しないとしても、全く同じ時間を過ごすのであっても夢があって過ごした時間と夢がなくて過ごした時間では、前者の方が心地いいだろう。夢はあるに越したことはないのである。

 

ではそもそも夢とはどのように定義するべきだろうか?私は夢とは「将来起こるかもしれないと自身が信じられる望ましい出来事から得られる正の便益を(発生確率調整前で)累積したものである」と定義している。将来起こると僅かでも信じられれば、この定義では発生確率を加味していないため、そこには夢があるのである。重要なのは少しでも起こるかもしれないと自分自身が信じられることである。

 

しかし夢とはこの定義では必ず不確定性が存在する。望んだ出来事が起きない可能性もあるのである。そして将来に不確定性があるということは、それは不安があることを意味する。ここで不安とは夢とは逆に負の便益の累積値である。もちろん理論上は将来、正の便益の出来事しか起きないと信じられ、かつ自身の期待(ベースライン)を現状に設定すれば、将来得られる便益は最悪でもゼロであり、マイナスの便益はないため、不安はないという理屈を展開できなくもないが、人間はそもそもベースラインを現状だけとおくことはなくある程度は正の出来事が起きると想定するために、ある程度の出来事すら起きなければそれはベースラインと比べて相対的にマイナスの便益になるし、また負の便益が一切起きないと信じられる、ということはまずないだろう。そのため夢と不安は表裏一体の関係にあり、夢があるということは不安もまた存在するのである。(ただし不安を受け入れてもなお、夢があった方が個人的には楽しいと思っている。)逆に見れば、将来を見通せるのであれば夢も不安もないのである。

 

夢を持つためには可能性の幅がある必要がある。そして若いと誰もが夢は持ちやすいが、年齢を重ねるごとに自身が信じられる可能性の幅は意識しないと狭まりやすい。夢を持ち続けたいならば、戦略的に夢を保ち続ける人生を選択する必要があると思っている。

 

夢と不安は表裏一体である。しかし不安を受け入れ、夢を持って日々を過ごすことはたとえその夢が叶わなかったとしても、総じて楽しいだろう。少なくとも自分は歳を重ねても不安を受け入れながら夢を持ち続けたい。そのように思っている。