トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

孫正義のよう考えられなかったら

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何か大きなことを成した人たちは一貫して利他主義である。彼ら・彼女らは利他の重要性を説いており、これは決して綺麗事ではないように見える。事を成す原動力となる情熱は心の底から「誰かを、世の中を良くしたい」という想いから来ているのだろう。結局のところ、自分のことだけを考えると小さくまとまってしまい大きな事は成せないのだろう。そしてこのことはキャリア選択においても同様のことが言われている。心の奥底には必ず他人のためにやりたいことがあり、よくよく考えるとそれは見えてくるのであり、キャリア選択もそれを軸に考えるべきだし、それを面接で伝えるべきである、と。

自分自身はいわゆる「意識高い系」の大学生であり、実際の就職活動が始まるよりも相当前からさまざまな場で似たようなことを聞き、面接などにおいてもどのような形で世の中に貢献していきたいのかを話すことを心がけていたし、働き始めてからもそのような考えを持つようにしていた。しかし一方で常に心の中では違和感を感じていた。一見もっともらしい理屈は述べているものの、自分は本当に世の中を良くしたいと思っているのかは確信を持てなかった。しかしある時に吹っ切れた。自分にはそんな願望はない、と。もちろん世の中に貢献できればそれはそれで嬉しいことであるが、結局のところ自分は面白おかしく生きたいのであり、自分がそのように生きられればそれで大満足である、と心の底では思っていることを認めたのである。言い換えると孫正義になれないことを認めたのである。そのような考え方ではおそらく世界を変えることはないだろう。大きな事業を作り上げ、世界をよりよい場にすることも多分ないだろう。残念ながら自分の人間の器はその程度であったのである。しかし自分を偽るよりも自分の欲望に従って生きた方がはるかに自分にとっては心地がいい。

 

自分自身は今の仕事をとても気に入っている。純粋に知的に楽しい。またそれが単なる知的マスターベージョンで終わるのではなく、それがクライアント企業に貢献していることが感じられると非常に嬉しい。もちろんクライアントから感謝されたらなお嬉しい。しかしクライアント企業に貢献することの目的も究極的には自分が意味のあることをやっていると感じられるために必要なものであり、あくまで主語は自分なのであり利己的な思想の延長線上にあるものなのである。なお理屈の上では利他主義も突き詰めて究極的に考えると利己主義という考えもなくはないが、やはりそれはいささか強引でありまた明確な断絶がある。

 

私自身、世の中を良くしたいと心の底から言っている人を、本当に尊敬する。そのような人たちが世界をより良い場所に変え人類を発展させるのだろう。そして残念ながらそんな人物には自分はなれないようである、なることも諦めたのである。しかし偽りをやめ諦めたからこそ、自分の行動に迷いがなくなり何よりも楽になったのである。

 

そんな生き方もあると思っている。