トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

負の感情を共有したいという欲求

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(多くの)人間には他人に感情を理解されたい、という欲求があるように思える。さまざまな感情の中でも喜び、幸せ、好意といったポジティブな感情は出す方も受け取る方もあまり困ることはない。一方で怒り、悲しみ、憤りといったネガティブな感情もまた他人に理解されたいという欲求があるように思える。特にビジネスの場のように何らかの責任が伴う状況であれば、その取り扱いは難しい。状況によっては安易に相手の負の感情に理解を示すと、それはこちらに非があることを認めており、後々不利に働くのではないか、といった考えが頭に巡ることもある。

 

しかし相手が負の感情を積極的・消極的に表明しているのは何か具体的な解決策が欲しいというよりも単にそれを知ってもらいたい、と思っているだけのことが多いように思える。確か医療訴訟大国のアメリカにおいて、医療の現場でなんらかの事故があった場合にこれまでは後々の裁判のことを踏まえて安易に謝罪しない傾向が強かったが、その場で”I’m sorry”というと格段に裁判に発展することが少ない、といった話があった。この場合は謝罪はしているものの、根本的には負の感情を受け止めて貰いたい、という感情が存在していると思われる。

 

逆に自分が何らかの負の感情を抱いた時も同様であり、多くの行動・言動は「他人に理解されたい」という欲求を用いて説明できるのではないだろうか。ビジネスの場であっても、状況によっては負の感情を相手に発露した方がいい場合もあるだろう。しかしもし自身が負の感情を抱いていると思ったら、少し客観的に自分を眺め、それを相手に共有することが、実利的にいいかどうかは検討してみる価値はあるかもしれない。感情と行動を制御できるのであれば場合によっては少しだけ堪えて敢えて負の感情を理解されることを諦めた方が結果的には実利が大きいこともあるだろう。もちろん仕事であっても感情的側面は軽視するべきではなく、例え短期的な実利がなかったとしても感情を解消した方が長期的には望ましい場合もあるだろう。言いたいのは、どんな行動を取るにせよ、そのような欲求があるということを認識した上で行動をとる前に一呼吸するべきである、ということである。

 

相手が負の感情を抱いていた場合、その欲求を認識しそれを受け止めるべきだろうし、自分が抱いていた場合は、深呼吸をしてから行動を考えるべきなのだろう。