トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

意識高い?

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「意識高い」という概念がある。ツイッターなどでも妙に暑苦しいツイートをしていて見ているこちらが恥ずかしくなるようなアカウントもたまに見かける。ただ個人的には「意識高い」ことは否定的になるべきことではないと思っている。確かに本人の実力と願望に著しい乖離があったり、願望と努力の方向性が明らかにずれていたりすると滑稽に映る。しかし高い目標を持ち、それに向かって(多少ズレていたとしても)本人なりに努力するその姿勢は決して嗤うべきではないし、それは尊いことだと思っている。

 

例えばビジネスの分野で何かを高い目標を掲げ、それを達成するための手段としてビジネス書を読んでいるような「意識高い系」の人たちは割とよく見かける。もちろんビジネス書を読んでいる「だけ」では目標は達成できない。中にはビジネス書を読むことそのものが目的となるなどして、明らかにズレた努力をしているように見える場合もある。また読んでいる本が「ビジネス芸能人」とでも言えるような人たちの著書で内容が薄いこともある。しかしビジネス書を読むこと自体は否定されることではないし、ビジネスの分野で活躍するためには有効な手段の一つであることには変わらない。私自身も社会人なりたてのときはさまざまなビジネス書を読んでいたし、今でも(量は減ってしまったが)読んでいる。またそれによって仕事に直接的・間接的に役立っている実感はある。

 

上記ではビジネス書を読むという卑近な例を挙げたが、どんなことでも掲げる目標が滑稽なくらい高過ぎたり努力の方向性がズレていたりする人がいたとしても、高い目標を掲げ、努力をすることそのものは嗤うべきではなく、敬意を払うべきである。また何らかの目標があるならば斜に構えることなく、それに向かって努力をするべきであると思っている。