トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

美意識を持つ

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自分で書くのもやや気が引けるが、自分は比較的美意識は持っていると思う。少なくとも美しくありたいと思っている。ここでの美意識とは自分がコントロールできる範囲内の事象の状態を(自分の視点から)美しく保とうとする意志、と定義する。自分の服装、所作、その他身の回りは美しくしたいと思っており、それなりに私生活では美意識に対するこだわりがある。(昔、茶道をやっていたこともある。)こだわる理由は、美しいものに囲まれていたほうが単純に快適で心地いいからだ。


ただ美意識は私生活だけでなくプロフェッショナルキャリアにおいても仕事においても需要だと考えている。これは単にビジネスの場の服装や資料の美しさやプレゼンテーションなどの外観的な美しさだけでない。より大事なのは論理の美しさにこだわることである。論理的に美しいものはほぼ間違いなく説得力がありまた実用性が高い。また論理的に美しいものはそれを資料に落とし込んだ際もその資料は外観的にも美しくなる。逆に外観的に美しくないものは(単に外観だけでなく)ロジックが分かりにくく、論理としてのエレガントでない。自分自身の仕事でもたまに(内容的に)美しいロジックやエレガントな提言にたどり着いたと思えるときがあり、そのようなものは例外なくクライアントから評価・感謝されるのである。


変人数学者で有名だったエルデシュは証明に対する最上級の賛辞に「これはまるでThe Bookからそのまま取ってきたような証明だ」と言っていたそうだ。このThe Bookというのは神様が持っている本のことで、そこには全ての数学の証明が完璧な形で記入されている。その完璧な証明をそのまま持ってきたような証明というのは神のレベルに到達したものである。これも論理に対する美意識といえよう。


若い同僚たちの中には明らかに見た目も中身も美意識を持っていると感じられる人たちは一定の割合でいる。彼ら・彼女らは美しさにある種のプライドを賭けている。そんな人たちは間違いなく伸びるしどんな環境でも成功しているように見える。私生活はもちろん、プロフェッショナルキャリアにおいても美意識を持つといいと思っている。