トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

快適な生活を実現する手段としてのお金

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自分は常々人はオープンに「お金が欲しい」と思うべきだと思っているし、そういった願望があるならそのための工夫をするべきだと思っている。「思うべき」とややまどろっこしい表現をしたのはそれを外部に対していうことは少し慎重になった方がいいとは思っているためである。ただ公言するかどうかはともかくとして、少なくとも頭の中ではそういった願望があればそれを無視せずに言語化し、「自分はもっとお金が欲しいと思っている」ということを理解するべきだろう。


もちろん金銭欲は個人差が大きいものであり、人によっては「そんなにお金に興味がない」と思っている人も多いだろう。ただそういった人たちも「快適な生活をしたいか?」と訊かれたらほぼ間違いなくイエスと答えるだろう。そして次の問いとしては「今の生活に不便・不満・不安はあるか?」と訊けば今の生活が完璧で大満足、と答える人は少ないだろう。最後の問いとしては「ではその不便・不満・不安をお金である程度解決できるか?」と訊かれれば、やはり多くの場合はイエスだろう。単純に疲れたときはタクシーに乗れたほうが快適だし、欲しいと思ったものがお金を気にせずに手に入った方が楽しいし、お金のために何かやりたくないことをするのは避けたい方がいいに決まっている。(もちろん苦労や我慢を乗り越えてこそ得られるものもがあることは否定しない。)


金銭欲というと銀行口座の数字を見てニヤニヤする人やあるいは奢侈な生活をする人などを想像する人も多く、決してそのようにはなりたくないと思って「お金に関心がない」と答えている人もいるように見受けられる。また「お金が欲しいか」という問いに関しては「自分はお金のために家族や趣味をを犠牲にはしたくない」などという考え方をする人も多いが、これもお金は何かとのトレードオフの関係が前提にある。しかし一旦トレードオフを忘れれば、上述の一連の問答を通じて言いたかったように、お金は快適な生活を実現するための手段としては比較的有効な存在であり、あるに越したことはないと言えるのではないだろうか。


もしそうならばもっと素直に(手段としての)お金を欲しいと思っていいのではないだろうか?一度しかない人生、できたら快適に過ごしたい。その願望があるとするならば(多くの人は多かれ少なかれあると思う)、それを認めたうえで何かを大きく犠牲にしない範囲においてお金を増やすことを考えてみるのも悪くないのではないだろうか。快適な生活を実現するためのお金に対する願望を否定せずにそれを手に入れる方法を真剣に考えてみると、案外色々な選択肢があることに気付くだろう。