トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

年収が低いことの意味

スポンサーリンク

私は常々、会社員はもっと年収にこだわった方がいいと思っている。単純に収入が高いほど生活が快適になるということもあるが、本質的には年収は自分の付加価値の代替指標であり、それが低いことは自分のプロフェッショナルとしての価値が低いことを示唆しているからだ。ただ現実的には会社において非常に高い成果を出している社員とそうでない社員も限りなく同じような報酬を得ているケースも多々ある。そこで本エントリーでは少しその意味について考察したい。

 

年収が低いということは論理的には下記の二つが考えられる。

①付加価値と報酬が見合っている場合:自分の付加価値が低い

②付加価値と報酬が見合っていない場合:「搾取」されている

 

①は問題だ。もしも自分は代替が効きやすい人材でありまた将来収入が上がる可能性は低い。②もまた問題だ。自分は企業から「搾取されている」訳であり一刻も早くそれをなんらかの方法で是正するべきだろう。従業員を「搾取」しているならば、流動性が高まっている労働市場においてはいずれその企業は良質な人材を引き付けられなくなるだろう。頭脳労働比率の高い先進国においては人材の質は企業の競争力を挙げる最も重要な経営資源であることが多いため、従業員を「搾取」している会社はやがて競争力を失うだろう。つまりそんな会社に在籍することはダウンサイドリスクしかない。そんな会社は一刻も早く辞めるべきであろう。

 

以上は純粋な論理展開ではあるが、これを単なる知的な遊びで終わらせない方がいい。特に(雑な括りであることは重々承知の上だが)多くの日本の大企業ではほぼ横並びの報酬体系であり優秀な人材が「搾取」されていることが多い。このような人材は30代前半~半ばくらいまでには同期の中ではほぼ選別が終わり自他共に認める「エース」となっており、肩書きはともかく実務面では中核的な立場になっている場合が多い。実際に最近では東大生の人気就職先ランキングでも比較的高給な外資コンサルティングファーム外資投資銀行が人気であり日本の伝統的大企業は商社を除いて殆ど挙がっていないことも上記の一つの傍証となるだろう。

 

私は必ずしも誰もが年収の最大化を目指すべきとは思っていないし、先ほどの伝統的日系大企業の「エース」として日本企業の発展に貢献することも素晴らしいことだとも思っている。しかし純粋な付加価値と対価という一つの取引形態の観点では年収が低いことは健全な状態ではないということは頭に入れておいた方がいいと思っている。それをどのように解釈し、どのような行動を取るかは個人次第だが、少なくとも理屈は頭の片隅に入れておいて損はしないだろう。