トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

職業人としての習慣

また内向きの話。

 

私はある程度の年数この仕事をしてきた。この職業に就いたと当初から特段転職などは考えずにかなりジュニアなうちからこのプロフェッションに対するコミットメントは多少の紆余曲折はあったにせよ根本的には高かったと思っている。そのためジュニアなりに仕事に役立ちそうと思っていくつかのことはするように心掛けてきたしその多くは今でも続けている。その中には役立っているものもあれば、そうでないものもあるし、今思い返せばもう少しやっておけば良かったと思い、今更ながらやっていることもある。そこで自分なりにそれらを思い付くがままに述べていく。

 

直ぐに思いつくのは日経ビジネスを読み続けていることである。大学三年生の頃からこれはほぼ毎号、7割方は読んでおりこれは単純に事例集として役立っている。知識や情報は本質ではないが、やはり最低限は必要であると思っている。私は基本的には日経ビジネスはざっくりと二種類の記事があると思っている(ただし重複あり、あくまでざっくりと、である)。

 

一つ目は最初の20ページくらいに掲載されている鮮度の高い記事である。これはほぼ一週間の主要ニュースのまとめといった形で情報の鮮度は高いが企業経営への理解という意味ではあまり深くはないが、最近の話題を理解するには適している。もう一つは企業の面白い取り組みや「経営者の頭の中」などの事例を理解することである。こちらは鮮度というよりは事例集として記憶し、仕事でもアナロジーとして使える。これは特集、編集長インタビュー、ケーススタディー、スペシャルレポート、あたりである。最近であればJR貨物オリオンビールブリヂストンの事例などは面白かった。経営コンサルティングに従事している人であれば「この会社の経営課題は何か?」「それに対するユニークな解決策はなんであったか?」あたりを意識して読むのがコツといったところだろうか。習慣としてこのような情報を読み続けることは大事であると思っており、仕事で直接的に役立ったことは何回もある。(なお、私は新聞はWebでは多少は読んでいるものの、そこまでは読んでいない点は述べておく。とはいえたまにしっかりと読むとやはりもっと読まないとなあ、とは思う。)

 

二つ目は社内の資料を読んだことはある。社内にはイントラネットを叩けば玉石混交ではあるが、事例集やフレームワーク集や実務指南書のような資料が山のように出てくる。今のプロジェクトに関係があることや自分の興味のある分野についてはちょくちょく読むようにはしていた。かなり玉石混交であるために、殆ど役に立たない酷いものもあったが、いくつか読むとファームでの典型考え方は理解できたとは思う。またテーマによってはかなり洗練された思考体系ができているものもあれば、正直、あまり見識がなさそうに思えたものもあった。ただ基本動作としてこのようなことを行ったことはやはりプロジェクト中は役立ったしそこから何年も経ってからそこで学んだ概念が活かされたこともある。

 

ただ一方でやはりもう少し玉石混交の「玉」を上手く選別することにはもう少し時間を使えば良かったと今になっては思っている。闇雲に資料を読むのではなく(といってもそこまで読んでいたわけではない)、もう少し「どのように『玉』を選別するべきか?」という論点を立てそれを真剣に考えればもっと学びは大きくなったと思っている。最近はまた社内の名作中の名作みたいな論文集のようなものをかき集めて読んでいるが、やはり勉強になる。

 

三つ目は時折、プロジェクトの学びを文章に落とすことをしていたことがある。私自身、文章を書くのが好きで社会人三年目くらいの時にとある業界誌に同業他社が寄稿していた記事をいくつか読んで(若さ故もあり)「この程度の内容でも雑誌に載せられるなら自分だって書ける筈だ」と畏れ多くも思い、それからちょくちょくプロジェクトでの学びを「雑誌に寄稿している風」に仕立てて文章を書いていた。例えば中計策定支援のプロジェクトの後は「中計策定の要諦」を書いたり、といった具合である。このようにすると、やはり学びが一般化されて言語化され、頭に記憶されるので、様々な文脈で使えるようになり役に立っている。今のブログの「外向きの記事」もそれと同じ路線である。

 

四つ目はビジネス書を読んだことである。ただしこれは人によって違うということは予め述べておく。私が所属するファームの中でも経営コンサルタントとしての切れ味は超一流のあるシニアパートナーは絶対にビジネス書を読まないと言っており、他にもビジネス書はほとんど読まなくても活躍しているコンサルタントは居る。ただ少なくとも私自身はやはり読むことで学びが多かったし今でも血となり肉となっている実感はある。これも人それぞれだが、自分にとってはそれはやって良かったと思っている。

 

内定者時代くらいはいわゆるロジカルシンキングの名著や文章の書き方、会計系の入門書などのスキル系の本や七つの習慣のような自己啓発本もかなり読んだ。この辺りは各分野で名著とされている本をいくつか読むのが良かったと思っている。社会人になってからは「小倉昌男 経営学」「巨象も踊る」といった経営者が書いた本や「ウォール街のランダムウォーカー」「ザ・ゴール」などの各分野での名著とされている本を読んだし、もっと軽い(そしてここでは書くのが恥ずかしいような)本も読んだ。この辺りも名著とされている本はやはり学びが大きいと思っている。一時期は読書メモのようなものも書こうとしたが、これを課すがために本が読むのが億劫になるのは本末転倒だなと思ったこともあり、これは止めた。ただ名著であれば根底にはある思想が流れているため、それさえ汲み取ろうとしながら読めば記録など残さなくても頭には残ると思っているし、その程度で充分だと思っている。(脇道に逸れるが、ドラッカーはどうしても挫折をしてしまう。どうにも苦手で眠くなってしまう。)

 

五つ目はあまり出来ていなかったことで最近になってようやくやっていることであるが、よりアカデミックな世界での経営学を学ぶことである。といってもこれも特にビジネススクールに行くとかではなく、単純にハーバードビジネスレビューの論文集や経営学者の書いた本などを読むことが中心である。ただし、これはそれなりの問題意識や知りたいことがないと抽象的であっという間に眠くなってしまうためにジュニア時代はやろうとしても出来なかったことかもしれないとも思っている。最近は自分なりにいくつかの明確なテーマがあるのでそのレンズで読むと学びがあると思っている。

 

ただジュニアのうちからも経営学がどのように発達したのかの常識は持っておくことは悪くないと思っている。以前に紹介した「経営戦略の巨人たち」や「経営戦略原論」など、軽めなら「経営戦略全史」「コンサル100年史」、重めなら「戦略サファリ」あたりはこの職業に長く従事しようと思っているならば読んでおいても損はないかもしれないし、そのような人にとっては単純に面白いだろう。経営と経営コンサルティング経営学は共通するものもあるが似て非なるものだと私は思っている。それぞれ立場が違うため、それぞれ異なる価値があり、何が役に立つ/立たないといった議論はあまり意味がないとも思っている。ただいずれも「経営」がテーマであるので、それぞれの立場の人たちがどのような見方をしているのかを学ぶことは、経営コンサルタントにとっても思考に立体感が生まれるため役に立つと思っている。

 

六つ目はプロフェッショナルとしての外向きのテーマをいくつか持っておくことだろう。これは何回かこのブログでも書いていることである。これは3-5年くらいの時間軸で緩やかに変遷していくテーマみたいなものである。特定のテーマ(例えばクロスボーダーM&A、組織論、コーポレートガバナンス、経営企画機能など。あくまでも例)について数年間、常に頭の片隅に置いて考えるようにすると自分なりに思考が深まり仕事でも活きたと思っている。ここでの肝はテーマ設定を狭すぎず、広すぎず、にすることである。狭すぎるとドンピシャで仕事に活かせることはないし、逆に広すぎると独自の知見が構築できず一般論になってしまうのである。ボチボチの狭さにすることが大事である。これが一度設定されたらそのテーマに詳しそうな人(同僚でも友達でも)に議論を持ちかけてみたり、本を読んだりしてみると知見が深まる。このテーマに該当する最近の面白い企業事例は何か、コンサルティングのアプローチは何か、実務的にはどのようなことが行われているのか、アカデミックの世界ではどのように考えられているのか、典型的な失敗は何か、経営者は何を考えているのか、などの視点を持って過ごしてみると面白い。

 

あまりまとまりがなく思い付くがままに書いてみたが、これはあくまでも私自身が振り返って役に立ったことであり、また今でも続けていることである。同じ職業であっても人によって何が役に立つかは異なるし、先ほどにも述べた通りこんなことをしなくても活躍している人だって何人もいる。ただ私自身はそこまで器用なタイプではないため、こういったことに時間を使ってきたことは良かったと思っている。人それぞれではあるが参考になれば幸いである。

 

内向的性格のサバイバル術

内向きの記事。

 

以前に一緒のプロジェクトで働いた入社後7-8ヶ月ほどの新卒(仮にAさんと呼ぶ)からそのプロジェクト中のフィードバックを求められる機会があった。私自身、これまで多くの新卒と一緒に働いてきたがAさんはその中でも仕事ができる方と言って間違いない。また一緒に働きたいかと聞かれたらイエスと答えるし、Aさんのアサインメントを検討していた別のマネージャーに対してもその様に伝えた。全般的に理解力が高く、真面目でチームメンバーとしても働きやすく、一度指摘されたことは次回以降は確実に反映する吸収力があり、また数字に関してはかなり強いと言って良かった。その時期の新卒としては順調であるといえる。

 

Aさん自身もそのことは理解しており健全な自信を持っているようだった。一方でぼんやりとした不安もAさんは持っていたようである。今は順調ではあるが、何となく今のペースで成長したとしてもそのうち行き詰まりそうな感覚を持っており、それは私もそれを感じていたのである(この感覚を持っていること自体、自分を客観視てできていると言える)。この感覚の根底にはAさんは確かに優秀ではあるが、どちらかというとこれまでは言われたことを上手く確実にこなしていたため(そして入社してから半年はそれで全く問題ない)、今後自立的に動く自身の姿が想像できなかったことが挙げられる。特にAさんはどちらかというと内向的な性格であるため、議論を積極的にリードしたり、仕事を自分から作りに行くことが自然な動作ではなかったためである。

 

これは新卒がこの時期に直面する一つの典型であると思っている。私自身も相当に内向的であるために議論でリードすることはもちろんのこと、質問されていない状況で発言することはとても苦手であった。一方で確かに新卒半年を過ぎたら言われたことを確実にこなすだけでは不十分であり、積極的に仕事を進めることが求められる時期に差し掛かる。以前に働いた新卒でもトップクラスの人であれば、地方出張を自ら設定して営業所長との議論用の資料を準備して一人で会いに行きやることを合意する、といったことをできる人もいた。戦略系のプロジェクトであれば、それなりに複雑な分析を回すのは当然として、その結果を基にさらに掘り下げて検証するべき論点とそのための分析を設計しそのためのデータの取得を始める、といったことができるのである。これらはあくまでもトップクラスの人たちではあるが、問題はAさんにとってはそのようなプロフェッショナルとして求められる振る舞いと本来的な性格とに乖離があることであった。積極的に動けるかどうかは性格にもやはりよるところはある。一つ一つの分析やスライド作り、さらには論点に対する理解はAさんほど得意でなかったとしても、性格的に外向的な人は物怖じせずに、また間違いを恐れずに積極的に発言し結果的に伸びる人もいる。

 

教科書的に言えば、解の方向性は「プロジェクトの論点を理解し、それを分解し自分がどこを担当しているかを正しく理解し、自分が担当した仕事の次に出てくる論点を自ら考え、それに対する検証方法を考え実行し、適宜チームメンバーにそれを共有するべきである」ということになる。これはこれで何も間違っていないが、Aさんはそれは理解しているがどうにもそのように動ける気がしていなかったのである。

 

このような場合、いくつかの行動に落とせる解法はあると思っている。もちろん大原則としては上述のことを頭に入れておくことは必須である。ただ現実的にはまず作業設計に関してはある程度仕事をこなせばパターン認識でできるようになり、また内向的であることとは無関係にできるので、このように考える習慣は身につけるべきである。プロジェクトの論点というと壮大に聞こえるが、より自分の行動を基点に考えると身近なものとなり想像がつきやすい。どちらかというとボトムアップに作業ベースで直感的に必要そうなものを考えて、その裏にある検証するべき論点を考えてそれが果たして妥当なものかを逆算的に考えてみるといいだろう。特に経験がない中でトップダウンでプロジェクトの論点を分解して作業に落とし込むと、往々にして紋切り型の一般論的なものしか出来上がらない点は留意しておくといいだろう。ただ何であれ作業を考えてそこから逆算的に論点を考えてみるというアプローチはある。このように作業設計ベースで考えればそれがそのまま自分の行動となるため自分が仕事をリードすることになるのである。

 

コミュニケーションの面では「待ち伏せ作戦」が有効であると思っている。内向的な人は議論で瞬時に発言することは苦手な人が多いため、なかなか議論の波に乗れないのである。そうであれば予め「この会議ではこのような議論が生じるはずだから必ずこの発言はしよう」と考えて準備しておくことである。その時もただの指摘とか考えだけでなく、その発言のチームそしてクライアント企業に対する意味とそこから生じる論点、そしてその解法なども事前に考えておき発言するのである。これは社内会議であっても社外会議であっても同様である。これは私もかなり意識してやったことである。また多少強引であっても議論からそこに繋げてもいいだろう(もちろん自分の考えがコンテンツとしてそれなりに良いものである必要はある)。このようにすれば事前に考えをまとめておけるので内向的な人であってもできる。

 

あとはとにかくポジションを取ることを意識するべきだろう。どんなに細かいことでも「自分はこうするべきである」という行動に関する自分の意見を持っておくことである。もちろんそれができるようになるには、論点、選択肢、評価、意見といった形で思考をまとめておく必要がある。これは仕事の基本中の基本ではあるが、特に賢いが消極的なタイプの人は最初に述べた作業設計を考えた上で、自分でポジションを取ることを意識すると自立的に動けるようになると思っている。もちろんポジションを取ると、説明責任が生じるために合理的に考えなければならないため、思考を深められる。

 

外向的・内向的な性格のどちらが仕事に向いている、などは本質的にはないと思っている。しかし内向的な人が直面しがちな課題というものは確かに存在すると考えている。そのような人は、作業設計を意識し、「待ち伏せ作戦」を取り、またポジションを取ることで行動に関する意見を持つ練習をするといいと思っている。

 

大企業の変革に関して

2020年03月09日号のJR貨物の記事を読んで改めて企業変革に関して考えさせられた。

 

この記事は旧国鉄時代の「お荷物」部門であり、特に20年以上にわたって慢性的な赤字であった鉄道事業を抱えていた同社が元日本郵船副社長の石田会長のリーダーシップの元で企業変革を推敲し収益性を大きく改善した話をまとめている。この記事を読んで改めて考えさせられたこととして、大企業の場合は変革のアプローチに一定のパターンが観察される、ということである。一言でいうならば極めて「漢方的」であるのである。

 

これは以前に紹介した小森哲郎氏の著書である「会社を立て直す仕事」でも感じられる。小森氏は新卒でマッキンゼー に入社しパートナーを務めた後にアスキーカネボウ(のちのクラシエHD)のターンアラウンドをしたことで知られており、同書でもこの二社で行った変革に付いて説明しており、その中でもスタートアップ的で事業もシンプルであったアスキーは課題を利益貢献度の大きい順に個別撃破していったのに対して、クラシエでは数多くの施策をうちやはり「漢方的」に変革していったのが分かる。特に同書では二社の対比からそれがより明確に伝わるのである。

 

これまでは「漢方的」という感覚的な表現をしたが、より具体的には基本的な施策群を積み上げて変革を実施しているのである。言い換えると大胆な施策はなく、一つ一つの施策は常識的なものなのである。2社の取り組みについて少し具体的に述べてみよう。

 

JR貨物の場合、記事で語られている活動としては以下が挙げられる。

 

●幹部合宿の実施とクロスファンクショナルチームの設立
●路線別の収支の可視化(従来は本社のみにしか開示されていなかった)
●収益責任および権限を支社に委譲し、支社での改善施策の主導を促進
●新卒採用を辞め業界外の営業経験者を採用・手法を全社に共有

 

特に大きかったのは3番目である模様である。例えばある路線の復路の積載率が著しく低かった中、復路の経由地を変更する事で大きく積載率が向上させる施策やライバル同士であったアサヒビールキリンビールの共同輸送を実現することでやはり積載率を向上させ、結果的に40億円(全社の営業利益は100億円前後)改善したようである。

 

この記事の情報だけを読む限り、一見、施策そのものは極めてオーソドックスに移るのである。セクショナリズムを排除するためのクロスファンクショナルチームは20年以上前のゴーン改革で有名になった手法であるし、細かな粒度での収益性の可視化と管理は常識である。また物流業界において積載率の向上はやはり基本中の基本である。

 

カネボウ(現クラシエ)の変革も基本的な施策であり、またJR貨物とも共通するものが多い。施策の骨子は以下であった模様である。
●売上重視から収益重視に管理を転換
●業績を細かな粒度で可視化
●各事業が自律的に活動するグループ連邦制に移行。ただしシナジーは担保
●製品別、コスト項目別、地域別などの切り口で収益性改善を検討

 

上記は「ドリーム100」というプロジェクト名で推進されたことも象徴的である。この意味するところは「2年間のうちに全体で100個程度の改善プロジェクトが行われれば、我々の夢がきっと実現するだろう」というものである。

 

いずれの場合も一つ一つの施策はビジネスの教科書的な本を読めば必ず語られる常識的なものである。しかし個別の施策が当たり前であるからといって、それらの集合体である企業変革も当たり前にできるかというとこれは私は違うと考えている。一つ一つの施策を実行することだけであればさほど難しいものではないかもしれない。しかしこれらの活動を束ね変革全体をオーケストレーションすることには高度なインテリジェンスが必要であると考えられる。

 

施策を実施するにしてもそれが膨大な数あるとすると必ず順番論が発生する。幹部合宿が当たり前だとしてもいつのタイミングでやるべきなのか、どのタイミングで施策を承認・実行するのか、組織や評価方法はどの時点で変更するのか、などである。そして施策の数が増えれば増えるほど複雑性は増す。特に質的に異なる施策(例:評価やチーム組成といった組織的な施策、個別の収益性改善施策といった事業的な施策)が同時並行的に走ると施策間での連関を考えなければならずそれは決して簡単なことではない。加えてオーケストレーションには組織、特にキーパーソンのモチベーションの向上や改革へのモメンタムの醸成なども考える必要がある。

 

大企業は文字通り組織が大きい。そのために特定の事業上の施策だけで改善することはなく、結局のところは業績を大きく改善するためには常識的な施策を一つ一つ点検し、それを地道に積み重ねていくことが必要なのだろう。大企業、特にクラシエJR貨物などの歴史の長い企業であれば、知らず知らずのうちに無駄が蓄積されて漫然としかし確実に収益性が蝕まれる運命にあるといっても過言ではない。だからこそ数多くの基本的な施策を組織全体で断行する必要があるのである。そしてそれは一人ないしは少数の人間で不可能であり多くの人たちを巻き込んで実施する必要があるために「漢方的」になるのであろう。

 

もちろん全ての企業変革がオペレーショナルな施策群とそのオーケストレーションを戦略的に実施することで達成できるとは言わない。ターンアラウンドマネージャーとして著名な三枝匡氏はミスミグループ本社で上述のような基本的な施策に加えて商社からメーカーへと転換するという戦略を採り実際に製造会社の買収を実施している。逆に企業変革の一環としてファブレスした会社もあるだろう。戦略的な市場を変更した例もいくらでも存在する。そのため「漢方的」アプローチだけが企業変革であるとは言えないが、少なくとも一つの典型的な定石であるとは言えるだろう。特に大企業であればすぐに戦略転換をしてそれだけで1-2年で業績が大きく改善することは規模に鑑みると難しく、戦略転換を伴う場合であってもオペレーショナルな施策群は必須だろう。

 

もし上記が仮に大企業における企業変革の一つの定石であるとするならば、企業変革をリーダーは業界あるいは機能の専門家である必要はないことを示唆していると言えるだろう。業界知見よりもむしろ企業変革のオーケストレーションに知見を持っていることの方が遥かに重要であると考えられる。実際に小森氏やミスミグループ本社の三枝氏が複数の異なる業界で企業変革を実現できたこともそれを示していると見ることもできる筈である。(二人ともコンサルティングファーム 出身である点もまた業界知見ではないところで勝負している、と見ることもできるかもしれない。)無論、両氏は日本の企業変革の世界におけるスーパースターであり、これら二名の経歴や活動から一般化することはできないだろう。しかしこれまでの考察からも企業変革をリードするのに必要なのはオーケストレーションに関する知見である、ということは少なくとも一つの理屈としては成り立つとは言えるだろう。個別の施策が基本的であってもそれを常識と軽く見てはならず、企業変革の根底にはオーケストレーションという見え辛い概念を通奏低音で流れていることを理解しなければならないのである。

 

二社の企業変革を読んでこのようなことを考えさせられた。

 

予算策定プロセスに関して

多くの大企業では予算管理プロセスにかなりの工数が割かれている印象がある。大企業の典型的な策定プロセスとしては下記が挙げられる。
①予算本社の主管部門(一般的には経営企画など)が各部門にガイダンスを発信
②各部門内でガイダンスを基に詳細化
③主管部門が集計、全社目線で適宜修正を各部門に依頼
④各部門内で修正依頼を反映・修正
⑤主管部門および経営層が最終化・承認

 

上記は概要であるが実際にはより複雑になる。例えば売上を担う販社の場合は地域統括会社と各国販社があることが多く、その場合は②、⑤のプロセスでは地域統括会社と販社との擦り合わせが必要になる。また製造業の場合は③から④のプロセスにおいて製造部門が作りたい製品と販売部門が売りたい製品が必ずしも一致せずにそれらの整合を取るのは多くの企業でかなりの工数が取られる。場合によっては詳細までは擦り合わずに製造部門と販売部門で異なる数字のまま予算が最終化してしまう場合もある。(無論、これらはあくまでも一般的な例であり、会社によっては本社がかなりの強権を発動させてトップダウンで決めている会社もあるだろう。)

 

このように大企業であればあるほど一般的には予算策定プロセスに係る工数が増大し関係部門の負担が大きくなる。そのため業務改善においては管理部門ではこの予算策定プロセスの改善は検討対象になることが多い。確かに外部から見て、あるいは実際に業務を担っている個別担当者から見て予算策定プロセスには非効率に映ることも多いが、個人的にはこの予算策定プロセスの改善にはかなり慎重に取り組むべきだと思っている。

 

テクニカルな理由は後述するが、本質的には予算策定プロセスは単なる数字作りではなくある種の大組織内のコミュニケーションプロセスになっており、また政治的・感情的な納得醸成のプロセスになっているためである。予算策定のプロセスにおいては公式・非公式に様々なコミュニケーションが生じる。それらを通じて本社からは会社の方針などが明示的・非明示的に伝えられる、また「創って作って売る」現場からは現場目線での課題や問題意識が共有される。またコミュニケーションを通じて部門間での連携も生み出されるのである。また上述のプロセスにおいては予算は各部門が上申できる機会が与えられているために政治的にも「他人が勝手に作った数字」とは言えずにコミットせざるを得ない仕組みになっている。不満があればそれを公式に表明する機会は(実際に行使されるかどうかはさておきプロセス上は)存在するのである。また感情的にも必要に応じて不満を伝えられる場があることは大事である。組織は論理的だけでなく感情や政治も考慮しなければ動かないのである。そのため予算策定プロセスは予算という媒体を介した組織間コミュニケーションと見ることができるのである。

 

また予算という個人や部門の評価に直結する指標を扱っているからこそ付随的なコミュニケーションにも真剣になる、という側面もある。例えば企業の本社が販社に対して戦略を説明したとしてもそれだけでは販社の行動が変わることは少ない。しかし戦略製品の予算を上げ、代わりに他の製品の予算を下げたとしたら販社に対する戦略は伝わりやすくなる。結局のところ特に戦略などは個人や部門からすると自分自身への関係性が明確でないと伝わらないのである。

 

以上の理由から予算策定プロセスそのものが一見無駄に見えたとしても、そのプロセスが担っている隠れた役割も理解する必要があるのである。それをせずに安易に簡素化しようとすると思わぬところで問題が発生するだろう。

 

また現実的な問題として予算は上述の通り評価に直結し、(仮に金銭的な報酬はさほど変わらなかったとしても)関係者がかなりのマインドシェアが割かれているため、生半可な理解で効率化をしようとしても物事は変わらないだろう。これは外部のコンサルタントであっても効率化を推進する本社部門であっても同様である。

 

もちろんこのように予算策定は「重いプロセス」であるからといって放置するべきである、と言いたい訳ではない。もしも論理的な、あるいは政治的な、さらには感情的なコミュニケーションを担っていることを理解してもなお無駄がある場合もある。財務部が作った複雑怪奇なマクロの入ったエクセルから脱却しITツールなどを活用して効率化できることも多いだろう。プロセスの簡素化の余地もあるかもしれない。しかしいずれにせよそのような状況ではCEOやCFOクラスの経営者が意思をもって取り組むべきなのである。

 

ただ「重いプロセス」である予算策定プロセスの多くの企業が抱える本質的な課題はその効率性にはないと私は考えている。「重い」が故の本質的な問題は予算が硬直化しやすい事にある。ビジネス環境の変化が速くなればなるほど、論理的には外部環境に応じる形で経営資源の配分や注力するべき事業の予算配分も機動的に変えるべきである。そして多くの企業の業務プロセスに鑑みると、その中核となるのは予算策定プロセスであることが大半である。しかしこの予算策定プロセスが「がんじがらめ」になっており、部門間での様々な力学の結果として前年+/-数パーセントの範囲でしか動かないのであれば大いに問題である。そして実際にそのような場合が多い印象である。このような状態では外部環境の変化に対応できない。新しい需要を捉える特化型の新興プレーヤーやトップダウン型の組織などで機動的に動ける競合には対抗できなくなるだろう。

 

前年+/-数パーセントの予算から脱却するためには技術的には以前に少し述べたZBB (Zero Based Budgeting)などの方法があるが本質的には経営が主導する必要がある。既存の予算策定の枠組みを用いるならば論理的には本社が予算のガイダンスを出すステップ①で大きな予算のメリハリを付ければ実現可能であるが、一般に大きな権限がない本社部門が各機能部門に通達するのは現実的には困難なことが多い。組織は基本的には昨日やったことを今日やり明日もやり続ける設計になっており変化を嫌い、予算もその範疇に含まれる。そのため大きな変化を実現しようと思ったらCEO、予算を主幹するするCFO、あるいは経営企画を主幹するCSOなどがかなり強力なリーダーシップを発揮するべきなのである。

 

予算策定プロセスは大半の企業に存在するがそれらに関わるのであればこのような理解をしておくべきだと思っている。

 

アドバンテージマトリクスに関する雑感

アドバンテージマトリクスというフレームワークがある。当該フレームワークは1981年にBCGが同社の伝説的な刊行物であるPerspectivesを通じて提唱した概念である。本エントリではこのアドバンテージマトリクスにまつわる話をし述べていきたい。

 

このフレームワークは1981年に生まれたものの日本では90年代半ば頃まで流行っていた印象である。このフレームワークはBCGのプロダクトポートフォリオマトリクスと同様に2x2のマトリクスで業界を分類したものである。横軸は「優位性構築の可能性」、縦軸は「競争の戦略変数の数」である。そして実際には売上高を対数軸に取り、縦軸にはROAを用いたグラフに同一業界の個別企業をプロットすることでそれぞれの象限で散布図に一定のパターンが見られる、というものである。

 

具体的にはマトリクスの右下は規模型、右上は特化型、左上は分散型、左下は手詰まり型と呼ばれる。規模型であればROAは規模に比例し、分散型は規模に関係なくROAが様々な位置にプロットされ、左上は規模が小さいと様々なROAが存在するが大きくなるに従ってROAの上限が低くなるものであり、左下は規模によらずROAが低いというものである。規模型の典型は自動車業界など、特化型は製薬業界など、分散型は外食業界など、手詰まり型はセメント業界など、と言われている。また分散型の典型であり規模を追えなかった業界であったがセントラルキッチンを導入することで分散型のビジネスから規模型のビジネスに転換できたというV字効果もこのフレームワークの説明時には併せて語られることが多い。(概要は他のサイトを参照してもらいたい。)

 

このアドバンテージマトリクスからはBCGが開発した偉大なフレームワークである経験曲線、プロダクトポートフォリオマトリクスの流れが透けて見える。経験曲線とはある製品の累積生産量が20-30%低下する、というものであり1960年代にBCGの創業者のブルース・ヘンダーソンが提唱したものである。この分析によりどれだけ生産すればどれだけのコスト競争力を構築できるかを予測できたため、当時は極めて協力な分析ツールとなったとされている。この経験曲線の概念はその後のプロダクトポートフォリオマトリクスにも含まれている。このフレームワークの横軸は相対シェアを取られており、この背景にはシェアが高いと累積生産量は多くなり、結果的にコスト競争力が構築できるという思想が存在している。アドバンテージマトリクスにおいても同様であり優位性構築の可能性という概念を具体化したx軸は売上高を対数軸で用いていることからも、やはり経験曲線の発想が透けて見えるのである。

 

このアドバンテージマトリクスは業界理解をする上では有用な考え方であることは間違いないが、一方で経験曲線やプロダクトポートフォリオマトリクスほど浸透しなかったことも事実であるといえるだろう。その理由はいくつかあるが、本質的には企業の行動にほぼ結びつかないことにあると考えている。規模型の業界に「御社の業界は規模が重要なので規模を目指しましょう」と提言しても、もちろん規模拡大以外の施策は劣後するという多少の意味合いはあるにせよ、クライアント企業側としては言われなくてもやっていることと言えるだろう。手詰まり型の業界に対してもそれを指摘してもやはりポートフォリオ論的な意味合いはあるにせよ、特に専業プレーヤーに対して指摘してもほぼ無意味だろう。分散型の業界であれば「勝ち方は色々とあります」ということしか意味合いはなくほぼ示唆はないだろう。「分散型」は強いて上げるならば規模は追わずに別のブランドを立ち上げるべき、という意味合いはありかもしれない。(アパレルブランドの旧ポイント、現アダストリアは一つのブランドを一定の規模以上に大きくはせずに新しいブランドを立ち上げる、というポートフォリオを組んでいるのはアドバンテージマトリクスの考え方を用いれば分散型業界の典型であるアパレル業界においては正しい戦略といえるだろう。)

 

プロダクトポートフォリオマトリクスは撤退、投資、キャッシュカウ化といった極めてわかりやすい経営判断が出てくるのに対してアドバンテージマトリクスはそこまで分かりやすいアクションが出ずに業界理解のための類型化の域に留まっていることが普及しなかった大きな理由であると理解している。

 

また経験曲線の有用性が時代とともになくなってきたことも一つの理由としてはあると考えている。経験曲線が提唱された60年代は比較的モノを作れば売れる時代であり、コストの重要性が重要であったが、80年代にもなるとコストよりも製品・サービスが高度化し、製品・サービスそのものの価値がコストよりも大事になってきたことが挙げられる。プロダクトポートフォリオマトリクスも同様であり、そのため実践の場では必ずしも相対シェアを用いずに相対シェアの上位概念である自社の競争力を示す他の軸を用いられることが多いのである。また経験曲線に対する批判として多く、そして有効だと思われるものとして「経験曲線が当てはまる業界は案外多くない」というものがある点は留意しておいていいだろう。(これは余談であるがブルース・ヘンダーソン氏自身、経験曲線を提唱してからだいぶ時間が経ってから「経験曲線は現象であり、そのメカニズムは必ずしも明らかになっていない」といった旨の論文を出していると記憶している。経験曲線はあくまでも経験則的な現象であるのである。)

 

加えてアドバンテージマトリクスの場合は「優位性構築の可能性」という極めて抽象的な概念を一旦は規模を用いているが、仮に規模が必ずしも適切でなくなった場合には他に代替できる上手い指標が見つかりにくいというやや実務的な問題もあると私は考えている。

 

本質的にはアクションに結びつきにくいことによりアドバンテージマトリクス自体はその源流である経験曲線やプロダクトポートフォリオマトリクスほどは普及しなかったが、それでも私はこの根底にある思想は有用であると考えている。「競争優位性は築けるのか?」「業界の戦略変数はどれだけあるのか?」「規模は効くのか?」「何型か?」といったレンズで企業や業界を捉えるのは取っ掛かりとしては十分に今でも有用であろう。私自身もアドバンテージマトリクスの考え方では特化型に分類されるものの規模がないと戦えないと思っていたある企業に対して、この考えを活用して「規模を追う以外の方法でも競争優位性を築ける」といった議論をするために用いたこともある。アクションに結びつきにくくても活用の仕方は存在するのである。特に提案書や議論の序盤などでの取っ掛かりとしては実用的であると思っている。またクライアント企業との議論には用いなかったとしても何型のビジネスかを意識しながら業界を捉えてみると理解が深まりやすい。

 

プロダクトポートフォリオも同様であるがフレームワークはそれをそのまま当てはめるのではなく、その根底にある思想を理解することなのである。上述の通り実践の場において「教科書通り」の軸を用いられることは少なくて、上位概念を捉えて当該状況に適した軸を見つける必要がある。またフレームワークを用いるのであれば、その歴史的な背景やそのフレームワークの限界ないしは批判も認識しておくことが望ましい。深く理解せずにフレームワークを漫然と使用するとそれにチャレンジされた時に論理的に説明できないリスクが生じてしまうのである。

 

「株主か顧客か、英BAの悩み」に関する雑感

最新の日経ビジネス(2020年2月10日号)の記事でBritish Airwaysの社長の退任に関する記事があり色々と考えさせられた。

 

当該記事は「株主か顧客か、英BAの悩み」というものである。要約すると「同社を20年近くCEOとして経営したパイロット出身のウォルシュ氏がCEOを退任する。同氏は株式市場からは好意的に受け止められている一方で、サービスの低下やストライキの発生、顧客情報流出で250億円近い制裁金が課せられており、顧客目線では必ずしも評価は高くない」といったものである。

 

まずはファクトを確認してみる。株価はBAの親会社であるIAGの株価を見ると直近10年で株価は5.5倍になっている。インデックスが2.5倍であること考えると株式市場からの評価は上出来と言っていいだろう。また事業という観点でもここ10年で売上高は1.6倍、EBITは5.0倍で直近5のEBITマージンは安定的に10%を上回っている。ボラティリティの激しい航空業界では上出来と言っていいだろう。

 

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一方で記事によると航空会社の格付けではBAは過去8年間で最高17位、最低で40位となっており、またストライキで1,000便以上が欠航したり、ドイツ行きのフライトが誤ってイギリスに着陸したりするトラブルもあったようである。更には顧客情報を50万件流出させる事案があり、制裁金を250億円支払っている。また同記事によるとBAのサービスに不満を持つ顧客は多いが代替となるLCCをはじめとする航空会社は必ずしも時刻や路線の観点で利便性が高くないためにBAを使わざるを得ない、とのことである。そのため株主と顧客のどちらを重視するかの判断に課題があるとあったのである。

 

これらの記事に書いていることが真とするならば、本記事が提示している課題は「企業価値原理主義」の立場では何ら課題ではない、ということになると考えられる。企業の役目は企業価値を長期的に最大化することであり同社は実際にそれをほぼ実現できているため概ね問題がないと言えるのである。サービスに関してもコストを掛けて過剰にするのではなく「顧客に選ばれるだけ十分な」質にすればよく、同社はそれができていると言えるだろう。情報流出に関しては確かにそれは課題であろう。しかしそれも数十億円を掛ければ避けられたと見られる、もしこの仮定が正しければ同社は200億円程度の企業価値は損なってしまったことになる。これは企業価値を最大化するために必要な情報セキュリティを十分に掛けていなかった、と見ることができるだろう。

 

資本主義の世界においてはある企業の製品・サービスを買うか否かの選択は顧客にあるのであり、同社の売上高は伸びておりサービスの質は落ちていたとしても顧客からは選ばれ、結果的に利益は上がっている以上、同社は正しいことをやっていると言えるだろう。もしもサービスに不満があるならば選ばなければいいだけなのである。

 

もちろん公共性の観点はある。外食業界などど異なり航空産業は参入障壁が高く物理的な滑走路の制約もあり公共性も高いために、安全性や正確性などが犠牲にされるべきではない。しかしこれは結局のところは政府の仕事であり個別航空会社の役割ではないだろう。政府は各種制裁金や滑走路の使用料などを導入し市場のメカニズムに公共性をないがしろにした場合のコストを埋め込むか、あるいは何らかの規制を導入するかすることで公共性を担保するべきと言えるだろう。今後はより重要になるであろう環境問題でも同様だろう。そして個別企業はその枠の中で企業価値を最大化することに専念すればいいのである。最近はESGという観点で個別企業もESGであることが求められるが、これも原則としてESGを追求しないと回りまわって収益に跳ね返り企業価値が毀損される、というメカニズムが働くことが結局のところは一番効くと考えられる。

 

以上は企業価値原理主義的な考え方である。もちろん細かく見ればこの原理主義的な考え方にも課題はあるだろう。ただし少なくとも今の段階ではこれ以上に有効な考え方はない様に個人的には思え、そうである以上は企業は、特に経営者は、この考え方に則って活動するべきではないのかと思えてしまうのである。記事を読んでそのようなことを思ったのである。

 

シェアハウスから見る居酒屋仮説

都内の20代の人たちの話を聞くと、住居の選択肢は「実家、一人暮らし、シェアハウス」の三択になっている印象である。いくつかの統計によるとここ10年くらいでかなりシェアハウスはの数を増えているようである。(ただしこの統計ややや心許ないものが多い。)

 

このシェアハウスであるが、私は「コスト重視型」と「コミュニティ重視型」の二つに大きくは分類できると思っている。前者はトイレや風呂や玄関といった機能を共用化することでコストを下げ、結果的に一人暮らしよりも安い家賃を実現しそれを売りとしているようなものである。一方で後者は賃料に関しては必ずしも低くはないがリビングなどのコミュニティスペースを重視しかつ入居者とシェアハウスのコンセプトの相性もある程度審査するようなものである。おそらく数としては圧倒的に前者の方が多いとは考えられるが、流行の感度の高い地域では後者も増えていると考えられる。

 

もちろん絶対数としてはこのようなタイプのシェアハウスは微々たるものであり、かつ都市部の所得が高い地域が中心の動きではあると見られるが、この背景には家族を代替するようなコミュニティへのニーズが高まっていると理解している。単身者世帯が増えたり、拡大家族の減少により、学校や職場以外に緩やかに顔なじみと交流するような場を欲していることが根底にはあるのではないだろうか。

 

もし仮にこのような考えが正しいとするとシェアハウス以外にも外食企業もまたこのようなニーズをとらえる機会はあると思っている。イギリスで言えば「街のパブ」があるように、比較的安価で行けば馴染みの店員と常連客と何となく話せるような、そんな飲食店のニーズは今後増えるのではないだろうか。もちろん日本にも居酒屋文化はあり、既に上述のような機能を果たしている店もあるだろう。しかしこれらは個人で経営されているような店舗が多い印象があるが、今後このような需要が高まるとするとより商業化し拡大しやすいような業態が出てもおかしくのではないかと思っている。

 

例えばFC方式ではあるものの店の名前はもちろんフランチャイジーが決められ、かつメニュー、料理、内外装などはいくつかの選択肢から選べるような自由度を与え、また出店時には内外装工事、什器の手配などを、開業後は決済、仕入れ、収益管理などのサービスをパッケージ化して提供するようなタイプの業態である。このような方式だと一見するとそれぞれの店舗は全く似ておらず、またオーナー(兼マスター)に一定の自由度が与えられるが、仕入れなどはレバレッジが効くため拡大しやすいというメリットも生まれるだろう。

 

ここまでで店舗間での違いを出さずに従来型のチェーン方式にしたとしても「街の居酒屋」というコンセプトの元に店員と顧客との間、あるいは顧客間でもコミュニケーションを促進するような工夫を凝らした業態があってもおかしくのではないかと考えている。

 

当たり前ではあるが人は(原則として)夕食を食べる。また人は本質的にはコミュニケーションをしたい性質がある。そのため単身者世帯が増えたらこのようなコンセプトの店が増えてる余地はあるのではないかと思うのである。

 

一人メシをめぐる戦い

例によって外食産業に関する素人なりの考え。これから何回か外食に関連したエントリを書いていきたいと思う。

 

私は外食産業の一つの大きなテーマに「単身者世帯の夕食をめぐる戦い」というものがあると考えている。この戦いは外食産業のみに止まらず、コンビニエンスストア、惣菜チェーン、さらにはウーバーなどのモビリティプレーヤーやC2C的ネットサービスなどの種々の周辺業界を巻き込んだものになると考えている。

 

まずは統計を見てみよう。総務省国勢調査によると2010年は単身者世帯の割合が32%となり夫婦と子の世帯の28%(世帯数1,900万)を抜き、最大の世帯となった節目となった年であった。これは言い換えると昭和の時代には一つの典型とされた夫が働き妻が専業主婦となり子育てと家事を行うというモデルはもはやメインストリームではなくなったのである。もちろんこの傾向は続くとみられ、総務省の予想では2040年には単身者世帯は40%にまでなると予想されている。また夫婦のみで構成される二人世帯も2010年には20%となり増えている一方で、共働きの割合も増えている。仮に一人当たりの夕食の予算を800円とすると単身者世帯の夕食需要は単純に考えて800円x365日x2000万=5.8兆円の相応に大きな市場であると言えよう。(参考までにサイゼリヤの売上高1,565億円、吉野家HDの吉野家セグメントの売上高が1,026億円である。)70-80年代に勃興したファミリーレストランという業態ももはや古くなっており、むしろ「パーソナルレストラン(パーレス)」の時代なのである。

 

一方でこのように単身者世帯および共働きの二人世帯が増えるとどのように夕食を賄うかは大きな問題となるのである。もちろん自炊という選択肢はある。しかし専業主婦がいれば、夕食の支度は彼女らの「主要業務」の一つであったため大きな問題とならなかったが、(大半が働いているであろう)単身者世帯と共働きの世帯が増えると働きながら自炊するというのはそれなりに負担が大きいため、別の手段に対するニーズも増えると考えるのが自然だろう。長々と書いたが要するに「働いていながら夕食を自炊するのは大変なので他の選択肢の需要が高まっている」と言いたいのである。

 

私自身も何年かほぼ毎日自炊をした時期があり相応に効率的にできていた自負はあるがそれでも率直な感想としてやはり手間がかかり負担が大きく(買い物→料理→後片付け、と時間がかなり食われる)また一人分の自炊だとかなりコスト意識を持たないと案外安くないと思ったのである。結局のところ時間的にもコスト的にも吉野家はもちろんのこと、大戸屋と戦うのはなかなか難儀なのである。

 

このような環境において多くの外食義業はこの夕食需要を取り込もうとしている。ファミリーレストランサイゼリヤはその最たる例だろう。メニューはもちろんのこと店舗によっては明確に「一人メシ」対策をかなりここ最近行なっている。メニューでいえば小さいサイズのものを充実させ、一人客が一食で様々な料理を試すことができ、また高頻度で来店しても飽きないような工夫がされている。席もスマホ用のコンセントが設置された一人用のものが増えている。実際に店舗を訪れてみると一人客が動画などを眺めながら食事をしている姿は目につく。まさにファミレスのパーレス化である。他のファミリーレストランチェーンも今後は一人客対策をすると明言している企業も多い。

 

居酒屋も同様である。鳥貴族や以前に紹介したNatty Swankyのダンダダン酒場などの専門居酒屋もこの一人メシの需要を取り込もうとしている。伝統的な総合居酒屋は大人数の飲み会を想定した席配置となっていたが、新興のこのようなチェーンは二人席の一人利用などを想定した店舗フォーマットになっている。餃子とサラダと卵かけご飯とビール一杯で1,500円程度で収まれば(他にもっと安い選択肢もあるが)、日常的に使うこともできるだろう。実際にいくつかの居酒屋チェーンをTwitterなどで検索しても、数十%は一人呑み利用となっている。

 

これらに加えて、餃子の王将大戸屋吉野家すき家といったもともと一人メシ需要を狙った業態も主要なプレーヤーとしては残り続けると思っている。

 

これらは外食での動きであったが個人的には一人メシの大本命はやはりコンビニ、中でもセブンイレブンだと思っている。同社の商品開発力は圧倒的であり、明らかに一人メシの需要を捉えた商品で充実している。最近ではドリアやグラタンなども小さいサイズで提供されるようになったが、これも「一食丸ごとドリアは嫌だが一品として食べたい」というニーズを捉えていると私は理解している。セブンに行けば商品を組み合わせることば3-4品の立派な夕食が出来上がるのである。そして味も良いのである。以前は「コンビニ弁当」というと不健康で美味しくない食事の代名詞となっていたが、ちょうどユニクロユニバレの時代を経て手頃な値段だが高品質と認知されで誰もが普通に利用するブランドになったような軌道を辿っているように見える。

 

この他にも都市部限定ではあるがJR東日本ecute改札内商業施設)やアトレなどは利便性が圧倒的に優れているため、帰宅時に惣菜を買うのに適している。いずれもR/F1などの定番ブランドが入店しており夕方は帰宅客で賑わっている。きんぴらゴボウやポテトサラダといったものは一人暮らしだと作ると何日分も出来上がってしまうため作りにくいため中食で買うのに適しているのである。

 

またUber Eatsなどのデリバリーも東京では圧倒的に充実し始めた。以前は同サービスはレストランのテイクアウト需要を取り込む、といった形になっていたが最近だとUber Eatsの利用を前提としたようなテイクアウト専門店も出ている。中には店舗名だけ変えて厨房を共通で使うといったようなレストランも出てきている。

 

私はこの次に出てくると思っているのは個人/セミプロが作った料理をUber Eatsを用いて提供するといった形態であると考えている。ちょうどメルカリのように個人間で料理の取引が生まれるような世界である。(今でもあるかもしれないが、これがもっと普及する形である。)

 

ここまでは「一人メシをめぐる戦い」に焦点を当てていたが次に少し違う視点で外食業界というものを考えていきたい。いうまでもなくヒトはものを食べないと生きていけないため外食産業というものはかなり昔から存在していた。(京都に行けば数百年前から営業している湯葉豆腐の料理屋もある。)そのため一見、普遍的なニーズが存在するため安定的な業界に見えるかもしれない。確かに胃袋そのものは増減せず、単価の上下は景気などによって多少はあるにせよ(といっても長期的には下がる方向にしか動いていないが)、個別企業や業態で見ると思いの外、栄枯盛衰が長期的には存在するのである。昔からずっと大きな外食企業というものは少なく世界的にもマクドナルドなどのファーストフードくらいだろう。これは結局のところ社会動態に大きく影響を受けるためと理解している。ベビーブーム世代の勃興、モータライゼーション、都市化、核家族化、モールの出現、共働きや単身者世帯の増加、などである。(近い将来、別のエントリで外食業界の規模に関しても少しファクトを交えながら述べていきたいと思う。)

 

そのため今は一人メシ需要というものが増えてきているが、また数十年もすると全く違った業態が生まれていると考えている。

 

ここで述べたことは基本的には仮説であるが、いずれにせよ今後、どのような企業が「一人メシ」の覇権を握るかは個人的には楽しみである。

 

電卓と紙とテキストエディタ

思考のための道具に関して。

 

私は数字が求められるプロジェクトではチームメンバーに対して電卓を手元に置いておくことを強く推奨している。もちろん手元におくことが大事なのではなく、必要に応じて電卓を実際に叩く習慣が本質ではある。例えば事業計画策定のプロジェクトにおいて、施策の重要度を議論する際には各施策の利益貢献をざっくりと計算することが求められるような場面がある。このような議論においてはスピードが重要でありエクセルを立ち上げるのでは議論に追いつかない。一方で暗算するには(普通の人には)やや難しい、といった状況では電卓が最も効果を発揮する。

 

だたこのようなとき、私はスマホでは絶対にダメだと考えている。理由はエクセルと同様に議論のスピードにスマホ電卓が追いつかないためである。実際に試してみればわかるが、高速で議論をしているときは電卓とスマホでは明らかにスピードが異なる。スマホだと打ち間違いの発生確率は各段に多くなり結果として議論にならないのである。これは一見些末なものに聞こえるかもしれないし、もちろん上述の通り大事なのは議論の中で数字を検算したり定量的に議論することではあるが、議論のスピードと出力のスピードが一致していることは想像している以上に大事なのである。

 

同様にiPadなどのメモ用紙と紙を用いた思考も異なる。記録装置ではなく思考装置として紙を用いる場合は電子ペーパーではなく物理的な紙の方がはるかに優れている。これも思考と出力のスピードが一致しているためである。例えばある紙には何らかの概念図を書き、さらに別の紙にはその中の構成要素の詳細図を書いた場合には紙だと二枚を並べて比較できる。電子ペーパーでもアプリによっては不可能ではないだろうが、それでは数秒以上の差が生じる。しかしおそらく人間の思考には最適な速度というものがあり数秒という一見短い時間であっても最適速度よりもタイムラグが生じる場合は雑念が生まれて結果的に思考が集中しなくなるのである。そのため思考装置として紙を用いるならば、物理的な紙やホワイトボードが圧倒的に優れているのである。

 

一方で言語的な思考をする場合はテキストエディタの方がはるかに紙よりも優れていると思っている。私は提案書を書いたり何らかの資料の構成を考えたりするときはテキストエディタで論点を書いたり、あるいはキーメッセージを書いたりする。これは手書きだと明らかに遅くまた修正も利かず、結果として思考にペンが追い付かないのである。一方でテキストエディタであれば修正や順番の入れ替えなどが簡単なため思考と出力が概ね一致するのである。(音声入力がさらに発達すればおそらくテキストエディタ+音声入力が最適ではあるとは思う。)

 

考えることを生業としているのであれば必ず思考と出力の速度についてはこだわりを持つべきだと私は思っているのである。

 

武器としてのエクセル

私はエクセルが好きである。大好きである。エクセルを作ることは自己表現と言っても過言ではない。どのくらい好きかというとCtrl+nを押して新規ファイルを起動してまっさらなスプレッドシートが目の前に現れる瞬間にはある種の高揚感を覚えるのである。(過去の数々の不出来のエクセル、通称 糞エクセルを忘れて)これからどのような美しくエレガントな分析やモデルが出来上がるのかということに想いを馳せるとワクワクするのである。秋の早朝に朝日を見るような清々しさを覚えるのである。このように書くともしかしたらこれはウケを狙って書いていると思うかもしれないが、これは大袈裟ではなく私にとっては大真面目な話である。そのくらいエクセルを愛しているのである。

 

幸いなことの大分前から相思相愛の関係になった自負がある。もちろん今の私の職位ではエクセルをできることは自慢にならない。むしろそんなことを言おうものならば「あいつは一生アナリスト根性が抜けない」と言われるだろう。これはいうまでもなく正論ではあるが、一方でこのくらいエクセルができるとたまに自分しかできないようなプロジェクトが発生し結果として仕事を依頼されたり、大炎上中のプロジェクトに途中で入り鎮火したりすることができたりする。これはシニアなポジションになっても役に立つのである。このようなことができたからこそ仕事を依頼されたことは何回もある。社内の会ったこともないかなり年次の高いシニアパートナーから電話があり、数字関連で炎上中のプロジェクトをとにかく手伝って欲しい、と言われて急に海外のプロジェクトに参画したこともある。言い換えると(ある意味で)コンサルティングの芸風の幅が広がるのである。

 

結局のところ特にあるレベルを超えてエクセルが得意になると、平均的なコンサルタントならば数時間かかる作業が10分でできたり、あるいは全く思いつかないような分析ができたりするようになる。多少得意くらいであれば(例えば1時間かかるところを30分でできるレベルであれば)エクセル作業が効率化し労働時間がいくらか短くなるだけで質的な変化は起きないが、上記のレベルになると別次元に到達し芸風が広がるのである。

 

なおコンサルティングでエクセルを使うときは大きくは二種類の用途があることは理解するべきである。一つは分析であり、もう一つはモデリングである。これらはそもそも全く違うのでありそれを理解するべきである。分析とは何らかの比較を行うための演算であり原則として一度きりのものである。一方でモデルとは何らかのインプットに対して演算をしアウトプットを返すものでありインプットを変えることでアウトプットも動的に変わるものである。一般にIBDのバンカーはモデリングが得意である一方で分析は不得手であり、他方でコンサルタントはその逆である。(ただし全般的なレベルとしてはIBDのバンカーの方がコンサルタントよりもはるかにエクセルには秀でている。)例えばエクセルが非常に得意なバンカーであっても分析で良く使用するピボットテーブルはほとんど使ったことがない人も多い。(なお個人的には種類にもよるが分析であってもピボットテーブルはあまり使用しない方がいいと思っている。理由はレイアウトなどで自由度がないためである。)いずれにせよ、これらは全く違うものでありそれぞれ異なるスキルが求められることは理解しておいて悪くないだろう。

 

エクセルを上達したいのであれば、まずはそもそも自分がエクセルに向いているのかを現実的に理解する必要がある。残念ながら私の感覚ではエクセルに向いている人たちはコンサルタントの中でもせいぜい20~30%であると思っている。これは恐らくは先天的なものであり、短距離走が得意、映像記憶が得意、文才がある、といったのと同じようなものであると思っている。もちろん後天的にも努力すれば相応にはエクセルを使いこなすことはできるが、エクセルが武器になるくらいにはなるのは極めて難しく、またそもそもその必要もない。コンサルティングファームはチームで動くので全員がエクセルを得意になる必要はないのである。むしろ自分が向いていないと思ったら、(いくらそれを得意になりたいと思っていたとしても)下手に近寄らずにジュニアとしては必要最低限のことを習得すればいいし、マネージャー・プリンシパルは品質担保するのに必要なだけを理解すれば良い。パートナー以降はそもそも(よほど特殊な芸風でない限り)触る必要はない。大事なのは冷静に自身のエクセルの適性を見極め、あるようであれば武器にすることを考えればいいし、なければ最低限だけ習得すればいいのである。そしてこれはエクセルに触らなくても大体わかる。20数年間生きてきたならば、冷静に考えれば9割方の精度で向き不向きは判るはずである。

 

では実際にエクセルを武器にしようとした場合は何をするべきなのか。いうまでもなく関数や機能への理解といったことはあまり重要ではなく、大事なのはエクセルに関する原則を持つことと、ファイルごとに設計思想をことであると思っている。前者の原則とはエクセルを作る上で守るべきルールのことであり、これには概念的なものも含まれる。具体的なルールであれば例えばカラーコードなどは挙げられる。このカラーコードは多少エクセルを仕事で使ったことがある人であれば当たり前と思うかもしれないが、99%の人は実際には厳密には守っていないと言っても過言ではない。カラーコードなど些末なこととと思うかもしれないが、これが守られているか否かでエラーの発生率は圧倒的に異なるし、またチームで作業する際には生産性は落ちるのである

 

より概念的なことではファイルの構造を意識し、なぜこのテーブルが、なぜこの位置にあるのかを全て(文字通り「全て」)説明できる必要がある。基本的にはエクセルはテーブル→テーブル群→シート→シート群で構成されており、それらは全てある一貫した流れに沿って構成されている必要がある。また全てのテーブルは①他のテーブルで参照されるための数字を返すか、②参考情報として表示されているか、③アウトプットになっているか、のいずれかを満たしている必要がある。そのためあるテーブルがあったときにこのテーブルは何を目的として存在するのかを全て理解している必要がある。

 

またテーブルは可能な限り正規化(=同じ行・列の構造に)するべきである。これも一見当たり前に聞こえるかもしれないが、大体のエクセルはテーブルの正規化が徹底されておらず、結果として式が複雑になるのである。式に関してもとにかく簡潔にするべきである。理想的なモデルであれば(SUMなどを除けば)せいぜい引数は3-4つ程度であり、しかも大半はただの四則演算で構成されているべきである。それ以上に複雑な計算式ならば中間的なセルを設けるべきなのである。また引数も原則的にはテーブル内に存在しているべきであり、「遠くの」テーブル、あるいは(緑フォントの)他のシートから引用されるべきではない。(これも殆ど認識されていない原則である。)

 

ビジネスDDで会社の事業計画を査定し修正版事業計画を作成する場合は、①(静的な)事業計画のドライバーを炙り出す、②事業計画をドライバーを用いて動的に再現する、③ドライバーを変更して修正版事業計画を策定する、といった手順に必ずなる。そのため自分は今、どのモデル上のどのステップを踏んでいるのかを概念的に捉える必要がある。これらは例であり他にも原則はいくつも挙げられる。もちろん上達の上で大事なのはカラーコードといった具体的な原則(といってもこれを守ることは必須ではあるが)よりも概念的な原則を理解することである。これがあれば再現性が高くなる。

 

設計思想は個別のファイルを作る際にどのような流れにするのかを考えることである。もちろん上述の原則に従えば自ずと決まる側面はあるが、それでも具体化するためには詳細を設計する必要がある。慣れるまではエクセルを作る際は数字の概念的な流れとシートの構成を紙とペンで文字通り設計をする習慣を身に付けることが大事だろう。

 

またモデルを設計する際は現実的なデータの入手性も最初からかなり意識するべきである。一般の問題解決においてはデータの入手性などのHowは一旦忘れて、何を証明するべきかのWhatに注力するべきであるが、モデルの場合は現実的に一定の精度のあるデータがないと話にならないのである。いくら論理的には可能でも数字が存在しないならばロジックから見直すことも多いのである。そのためモデルを設計する段階ではデータの入手性や粒度と最終的なモデリングの目的の両面を視野に入れるべきなのである。私自身、複雑なモデルを設計する場合は数字の計算ロジックやテーブル・シートの設計などに数時間を費やすこともある。

 

ここに書いたことはあくまでも例であるが、言いたいことはエクセルに適性のある人が正しい原則と設計思想を持って概念レベルでエクセルを考えられるようになると一つの武器になると思っている。最初にも述べた通り基本的にはエクセルは些末なスキルではあり、経営コンサルティングの本質からは程遠い。しかし一定レベルを超えるとそれなりに職位が上がっても「飯の種」になると思っているのである。