トーキョーハーバー

コンサルティングの現場から

自己評価・他者評価、コンサルティングと”ビジネス”

以前にある同業者の人が「自己評価と他者評価の違いにどのように向き合うべきか」、「コンサルティングコンサルティング"ビジネス"をどのようにバランスさせるべきか」というようなことを話題に挙げていた。これらは一見全く異なるテーマに見えるが実は根本では一緒である ― より正確には解の方向性は同じである ― と思っている。

 

私はナイーブに聞こえるかもしれないが評価に関してもコンサルタントが出す付加価値に関してもどちらも「正しいことをすれば正しく評価される」と思っている。つまり評価でいえばファームは(短期的にはともかく長期的には)評価されるべき人が評価され、評価されないべき人は評価されず、またコンサルティングに関しても同様にコンサルタントがクライアントに対して付加価値を提供していれば自ずと繰り返し依頼されるようになると思っている。

 

もしもこの前提に立つならば行動指針は明確となる。評価に関してはもしも自己評価に比べてファームの評価がが低いと思ったのならばそれは自己評価が高すぎると考えるべきでありファームの意見に耳を傾けるべきなのである。コンサルティングプロジェクトに関しても同様で継続受注などは考えずにクライアント企業に対する付加価値の最大化に専念するべきであり、もしも何らかのトレードオフに直面したとしても迷わずに付加価値の最大化を優先するべきなのである。そしてこれらに関してそもそも迷うこと自体が時間の無駄と考えるべきなのである。

 

もちろん現実には小手先芸というものは存在するとも思っているし、これらの考えがナイーブであるということも否定しない。小手先の技によって結果が変わったり「いいとこどり」したりすることはないとは言わない。しかし重要なのは原理原則 ― 英語でいうところのプリンシプル ― を持つことが大事であり何か迷ったことがあるとしたらそれに立ち返るべきであると思っている。それさえあれば迷いはなくなるし、何よりも心が楽になるのである。

 

何事も原理原則を持っていると強いのである。

 

パイオニアたれ

よく言われていることが企業でも個人でも人と同じことをやっていてはダメなのである。事業戦略的に考えれば、人と同じことをやっていては理論的には同一品質の中では最も低いコストでやれることのみが差別化要因となるため、何かと苦しいのである。

 

一度しかない人生の中でプロフェッショナルキャリアに有限の時間 ー しかも20-50代という良質の時間 ー を使うのであれば人とは違った新しいことをやるべきなのである。産業を創造する、それが難しいなら新しい業態を創造する、それが難しいなら新しいコンセプトの製品・サービスを創造することを目指すべきであると思っている。これはもちろんとてつもなく困難なことである。達成できないことが多いかもしれない。しかしそうであっても目線としてはこれくらいを持つべきであると思っているし、少なくともそちらの方が人生は楽しいと思っている。

 

比較的業界構造が安定しや新しいサービスが出にくいプロフェッショナル産業においても何人かの偉大な先人たちは新しい業態やサービスを生み出してきたと思っている。もちろんほかの業界においても様々な新しい製品やサービスは生み出されてきている。ほかの人にできるのであれば自分だってできる、という気概は私は持っていた方が楽しいと思っている。

 

私自身、最近ある分野において比較的ユニークな取り組みを始めた。これはこれまでの私のプロフェッショナルキャリアや好みをうまく融合させた活動であり、このような思想を持って似た活動をしている人はほぼいないと思っている。これはどこまで広がりがあるかはまだ未知数であるが少なくともかなりユニークではあるとは思っている。

 

簡単なことではないがプロフェッショナルとしてパイオニア精神は持つべきであと思っている。

 

「雇われ」パートナー

コンサルティング業界の小噺。

 

コンサルティングファームではプリンシパルやパートナーになると人事部からプロジェクトにアサインされることはなくなり、自らが能動的に動き提案活動をし仕事を依頼されプロジェクトのデリバリーの品質保証をすることが求められる。

 

ただ当たり前だけれどなかなか仕事を依頼されるようになるのは難しい。そのため現実的にはシニアパートナーが持っているクライアント企業との関係性の中から生まれる提案の種を引き取り提案書を書き、依頼されるプロジェクトの品質を保証するといった形になることが多い。特に大口のクライアント企業ではさまざまなコンサルティングのテーマが議論されており、シニアパートナーからすると「手が足りない」ことが多いため空いているパートナーやプリンシパルにも声を掛けて手が回っていないテーマを担当しもらうことが多い。手の空いているパートナーやプリンシパルも一定の稼働は必要であり、また安定したクライアントを担当することは重要であるためその話に乗るのである。

 

以前にあるプリンシパルはこの状態をやや皮肉を込めて「雇われパートナー・プリンシパル」と呼んでいた。確かにこのようにシニアパートナーがクライアントとの関係性を持っていると若干、「高級リソース」っぽくなりあまり面白くないことが多い。特に大口クライアントを担当するコンサルティングファーム内のチームも良くも悪くも統率が取れているためプリンシパルやパートナーの自由度が低くあまり好き勝手できないのである。また社内での調整も色々と発生し単純に面倒なことも多いのである。

 

一方で自分が直接クライアントから声を掛けられ提案しプレジェクトのデリバリーの責任を持つと非常に自由に仕事ができるため楽しいのである。必要に応じて「重し」としてシニアパートナーを巻き込む場合もどちらかというと「自分がシニアパートナーを雇っている」状態になるため面倒な調整も発生しない。いうまでも原則として「雇われ」ではない方が望ましいし、何よりも楽しいのである。

 

この「独立パートナー・プリンシパル」は非常に楽しいのだが、実はこれにも問題があると思っている。それは小さくまとまりコンサルタントとしての学びが限定されてしまうことにある。基本的に自分が主となり必要に応じて業界や機能知見のあるパートナーやシニアパートナーを巻き込むという動き方をすると、確かに働きやすくはあるがこれではプロジェクトのデリバリーを超えたコンサルティング活動全体が自分自身のコンサルティングスタイルの幅に限定されてしまうため、どうしてもテーマが偏ってしまったり社内での学びが少なくなってしまうのである。やはりシニアパートナーがシニアパートナーであるには理由があり、そこからパートナーやプリンシパルは学ぶことは多いのである。(またシニアパートナーですら更にシニアな人と一緒に働き「色々と学びが多かった」みたいにいうこともある。)これによってコンサルタントとしての幅と厚みが増すのである。また瑣末なことではあるがこの働き方だとあまり多くのシニアパートナーと働かないため社内での評価が上がりにくいといった現実的な問題もある。

 

実際問題としてコンサルティングが産業として日本よりも成熟しているアメリカやドイツなどの働き方を見ているとほぼ間違いなく大口クライアントごとに統率のとれたチームが形成されている。おそらくコンサルティングファームの組織としてのあり方はそれが最適解なのであろう。

 

そのため現実的には「雇われ」「独立」の状態をうまくバランスさせることになる。半分から7割くらいの時間は「独立」で活動し、残りは「雇われ」で働くのがいいと思っている。特に「独立」で稼動も問題なく仕事ができてしまうとそれが楽しいためなかなか「雇われ」になりたいと思えないのが自然である。しかしせっかくファームにいるならば少し長期的な目線に立って理性的に「雇われ」の状態になってみるべきだろう。もしもそれがあまりにも楽しくないなら「独立」に戻ればいいしそれで社内の評価が下がるのであれば最悪、本当に独立してもいいのである。

 

事業ステージ

私は知らない会社を理解しようとするときはまずは超長期の売上高と利益率の推移を見るようにしている。超長期というのは短くても30年、理想的には50年くらいの時間軸である。特に経営者と会うときはそのくらいのスパンで会社の全体像を頭に入れておくようにしている。

 

これくらいの時間軸で見ると売上高と利益率の推移を見るとこれだけでも会社の事業ステージがかなり想像できるのである。例えば日本の大手製造業であれば大抵の場合、90年代くらいまで売上高はずっと成長し、利益率も5-10%程度で推移していたが、その後、売上高は横ばいになって利益率も低下したり赤字に陥ったりしているのが典型である。このような場合であれば成長期→停滞期→再成長期といったような形で事業ステージを区切ることができる。

 

その上で会社の大きな出来事 ー 例えば主力製品の上市、経営が創業家からサラリーマン経営者に移行、買収、事業撤退、海外進出など ー と照らし合わせるとかなり立体感を持って会社の概要をつかめる。このような長期の時間軸で会社を把握すると、特に経営者と話す場合予め彼らが入社した20–30年前の状況を想像できているため議論が噛み合うことが多い。

 

またこの長期の事業ステージは将来を考える上でも役立つ考え方である。今後10年、20年でどのようなことが起きるのかということを事業ステージというフレーミングで考えることで将来を想像しやすくなるのである。

 

会社を理解するためには10年、20年、30年の時間軸で事業ステージという視点で考えてみるといいだろう。

 

問題解決の3層構造

私はなんらかの組織において問題解決をする場合は3層構造で考えるべきだと思っている。具体的にはロジカルレイヤー、エモーショナルレイヤーそしてポリティカルレイヤーである。

 

一つ目はわかりやすい。問題解決の基本はロジックである。ロジックというのは二つの認識対象の間に存在するの客観的な因果関係のことであり論理的に解を出すことは問題解決の第一歩である。しかしこれでは十分ではない。問題解決とは文字通り「問題」を「解決」しなければならないのであって論理的な解を出すだけでは不十分である。そして論理的に正しい解を見つけたとしてもそれを実行し問題を解決するには論理的な解だけではほぼ全ての場合において不十分である。

 

そこで登場するのが二つ目、そして三つ目のレイヤーである。まずはエモーショナルレイヤーに関して。問題解決のために論理的な解が出たとしてもその問題解決のステークホルダーには感情があるのであり、それを無視しては実際に問題を解決することはできない。問題を解決する上では論理的には正しいが自分の過去を否定することになるからできない、単純にその人の趣味趣向に合致しないために気乗りしない、嫌いな人が発案した解であるためにやりたくない、など問題を解決しようとするとステークホルダーの間にさまざまな感情が生じるためそれらも考慮しなければならないのである。

 

そして三つ目のポリティカルレイヤー。これは単に個々人の感情だけでなく、組織における個人の損得(そしてそれは必ずしも組織の損得と合致しない)、さまざまな感情などが動的に絡み合ったものである。組織で問題解決をするにあたっては個々人の感情に加えて組織の中のポリティクスも考え、なんらかの目的を達成するにあたってこのレイヤーの問題解決もしなければならないのである。

 

問題解決をするにあたっては今はどのレイヤーで問題を解決しているのかを意識するべきなのである。

 

ちょい甘め

私自身、ジュニアなチームメンバーとは意識的に「甘め」に接するようにしている。ここでいう「甘め」にはいくつかの次元があると思っている。

 

まず一つ目は仕事に対するフィードバックに関してである。要するにあまり厳しく改善するべき点などは言わないようにしている。もう一つはチームに対して要求する仕事の品質そのものである。そして三つ目はチームが働く環境や雰囲気である。例えばチームが同じ場所で働いている時にある程度雑談などもできるような雰囲気を作ることである。

 

根底にある考え方として「甘め」の空気を作っておいた方がジュニアなメンバーとしては失敗などを恐れずに気軽に発言できるということが挙げられる。特にこの仕事ではデリバリーの現場においてはジュニアなメンバーの方が現場のクライアントメンバーや生のデータに接しているため、より現実的な判断ができることもある。そんな状況でシニアな人間が「論理的には正しいが現実的には間違っている」ようなことを言ったときに、ピリピリした雰囲気ではなく「甘め」の雰囲気があればジュニアなメンバーが気楽に反論しやすくなる。

 

また背景にある共通する考え方として、この仕事は個々人がプロフェッショナリズムに則って働くべきであり、そのためには各個人の品質に対する意識や働き方に対する姿勢の基準を信頼するべきであるという考えがある。そのためには変にジュニアなメンバーを締め付けるよりは、彼ら・彼女らを信頼してのびのびと働ける場を作るべきだと思っている。

 

一方でこれは冷めた見方をすると厳しいフィードバックや品質を要求しようがしまいが、それができる人はできるし反対にできない人はいつまでたっても根本的にはできない、ということでもある。そのため敢えて厳しいことを言っても労が多い割には実りが少ないとも思っている。品質に関しても高い基準を持っている人はこちらが何か言わなくても高い品質を目指すし、逆にそれを持っていない人に対してより高い品質を求めてもあまり根本の部分では伝わらないことが多いように思える。(私の伝え方が悪い可能性も大いにある。)もちろん常識的な範囲では品質を上げるための工夫はするしフィードバックもするが、根本的にはその人から出てくる品質はその人のプロフェッショナリズムで良くも悪くも決まると思っている。そのため必要な品質が出てこなさそうならあれこれ言うよりも自分で仕事を引き取るなり他の人に任せる方が生産的であると思っている。(そのため私の心の中には「本当に信頼できる人リスト」「そうでない人リスト」はあり、極力前者の人たちと仕事をしようと試みている。)

 

これらは程度問題でありまたあくまでも私自身の一つの考え方ではあるがプロフェッショナルファームならば良くも悪くも個々人のプロフェッショナリズムを信頼し「ちょい甘め」で仕事に臨むべきではないかと思っている。

一人旅とインターン

自分語り。

 

大学生の頃、ちょくちょく一人旅に出ることを勧められた。確かに先人たちの中には旅を通じてさまざまな気付きを得て人間的にも成長した、といった類の話はよく耳にする。学生時代にあまりにもそのような話をよく聞いたので私も大学生の頃に青春18切符を使って一人旅行もした。しかし結局のところ、私自身の率直な感想としては「それなりに楽しいがめちゃくちゃ楽しいものではなかった」というのが本音だ。もちろん人生観が変わるようなこともなかった。結局のところ自分自身は引きこもり体質なのであり、また根っからの都会好きの人間であるため旅行というものがあまり合わないのである。働き始めてからも休みも基本的に都内に引きこもっているし、たまには旅行をするにしてもどちらかというと所謂リゾートホテルのようなところでぼけっとするような旅行ばかりであり活動的にさまざまな場所を周るといった旅行はしていない。

 

一方で「働き始めたら毎日がインターンのようなことをするのだから学生時代にそのようなことに時間を使うのはもったいない」といったような主張もたまに耳にする。確かにその理屈は理解できるが、自分自身の大学時代を振り返ると面白かった出来事の上位にははいくつかのスタートアップでのインターンと言う名のアルバイトの経験が挙げられる。

 

私自身、高校時代はいわゆる”ロケットサイエンティスト”に憧れて大学に入学したが、入学早々に勉強に挫折し、また研究室に配属されてからも自分には研究者には向かないということには気付いたもののさりとて特段興味のあることはなく無気力な学生生活を送っていた。そんな頃にたまたまある戦略コンサルティングファーム出身者が立ち上げたスタートアップを知り、ひょんなことからその会社でアルバイトをしたのであった。アルバイトの内容は事務作業に毛の生えたようなものではあったがそれでも優秀な社長や幹部と仕事ができたのは当時の自分にとっては刺激的でありまた単純に楽しかった。その後もいくつかの別のスタートアップでもアルバイトをしたがいずれも戦略コンサルティングファーム出身者が立ち上げた会社という共通点はある。(このうちの一社は私が最初に訪問したときは取締役・社員併せて7名でオフィスも他社のスペースを間借りしていたが、今ではこの会社は上場し創業者は数十億円の資産を保有している。)

 

このインターンは今の職業を知るきっかけとなり、また気付くとそれが私にとってのライフワークになるまでとなった。つまり少し大げさに書けばインターンが自分のプロフェッショナルキャリアを決定づけたのである。もちろんこのインターンをしなくても自分はコンサルティングファームには関心を持ったとは思うが、就職活動でもこのとき知り合った何人かの人から多大なアドバイスを貰いやっとこさ内定を得たという現実を考えると、おそらくこの経験がなければ今の自分のキャリアはなかったと思っている。

 

また現実問題としてこのインターンで経験したエクセルやパワポ作業はかなり働き始めた頃は役に立ったと思っている。新卒時から比較的高いパフォーマンスを出せたのは作業面で慣れがあったためにうまくスタートダッシュが切れてポジティブサイクルに入れたと思っている。

 

何が言いたいのかというとインターンの経験は自分のプロフェッショナルキャリアには極めて大きな影響を及ぼしたし単純に経験としても楽しかったのであり、少なくとも一人旅よりもはるかに重要な経験だったのである。もちろん人によっては一人旅で何かを得る人も多いだろう。インターンよりも一人旅の方が得るものが多い人の方が多数派なのかもしれない。しかしそうであったとしても(当たり前ではあるが)人によって向き不向きはあるのであり、中には私のように引きこもり体質で旅行には向いていない人もいるだろう。

 

私自身、一人旅を楽しめる人にある種の憧れを抱く。休みの度にバックパッカーをしている人は本当に楽しそうであり、そのような趣味(人によってはライフワークといってもいいかもしれない)を持てるのは純粋に羨ましく思う。しかし人には向き不向きがあり、中には私のようにそのような活動に合わない人もいるのである。そんな人は無理に旅行はしないで、あるいはインターンなんて学生時代にはやるべきではないという意見には耳を貸さずに、取り敢えずインターンのようなことをしてみるのもいいのかもしれないと思っている。

最適昇進速度問題

ずいぶん昔にファームで長期的にパフォームするのは最速で昇進したような人ではなく標準的な早さで昇進した人である、という統計があるといった話を聞いたことがある。このステートメントは出所不明であり私自身は結構疑わしいと思っている。というのも特にここ最近、社内でパートナーになるような人たちは割とジュニアの頃からほぼ一貫してパフォーマンスが高くて標準的な速度よりもだいぶ早く昇進している人たちが多いためである。

 

ただ早く昇進しすぎることの弊害は確かにあるとも思っている。やはりどんなに優秀な人であっても経験を積んだ方がコンサルティングスタイルに厚みが出るため、次の職位に昇進できたとしても敢えて昇進をせずにある程度、時間を掛けるというのも一つの考え方である。実際に非常に優秀な若手の中にはそのような考えの元、昇進を意識的に遅らせている(といっても放っておくと途轍もなく早く昇進するところを標準的なタイミングまで抑えている)人もいる。

 

この「最適昇進速度問題」に関して私自身はマネージャーまでは昇進できるならさっさと昇進し、マネージャーおよびプリンシパルで少し時間を掛けるのがいいと思っている。理由はマネージャーになると自由度が増すためである。アナリストやアソシエイトは原則として一つのデリバリーに(ファームによっては複数のデリバリーを同時に担当することもある)アサインされる形となりあまり自由度がない。しかし一旦マネージャーになると提案書の作成やファームの知見構築にも一定の時間を割くようになりデリバリー自体はある程度ジュニアなチームメンバーにも任せられるようになる。このように自由度が増した状態で少し長めに時間を使えば自分の興味のある活動に時間を使え、経験の種類も増やせると思っている。またアソシエイトやアナリストだと直接仕事をするのはパートナーというよりはマネージャーやプリンシパルが多いが、マネージャーは直接パートナーと仕事をすることが多くなるため、ここで時間を使えばさまざまなパートナーの芸風を見ることができ学びも増える。

 

昇進速度をコントロールするというのはそもそもかなり優秀な人でないと難しいが、それでもプロフェッショナルファームにいるならどの職位でどれくらい時間を掛けるべきかは少し意識してもいいかもしれない。

20代

昨日のエントリの続き。

 

コンサルティングファームで働くことのあまり気付かれない外形的な魅力の一つに若い人たちと働ける、ということがあるのではないかと思っている。これはつまり、若い人と一緒に働くことで精神的に老いにくい、ということである。

 

よく言われていることではあるが、プロ野球よりも技術的には劣る甲子園が魅力的なコンテンツなのは、何か(この場合は野球)に対して高いエネルギーレベルを持って純粋に打ち込む姿を見られるという魅力があるからである。

 

また若い人たちは知的好奇心が多く野心も持っている。自分自身が精神的に老いないためには精神的に若い人たちと付き合うのが大事であり、そのためには若い人たちと付き合うことが手っ取り早い。

 

実際に私が所属するファームの(殆ど居ない)50代の人たちを見ていても平均的な同世代よりもはるかに精神的に若い。もちろん彼ら自身が個体としてエネルギーレベルが高く精神的に若く、また基本的にこの年齢でファームに残っているということはシニアパートナーになっており経済的にも恵まれた立場にありさまざまな面で余裕があることは間違いない。しかしそれでもファームの50代が若く見えるのは普段から若い人たちと仕事をしていることも間違いなくあると思っている。

 

「偉い」シニアパートナーであっても20代のアナリストからダメ出しを受けることもあるし、ファクトベースで自身の意見を否定されることもある。またプロジェクトの中で白球を追う甲子園児のように若いコンサルタントが情熱を持って何かに打ち込んでいる姿を目にすることもある。そのような環境にいるとやはり自身も精神的には追いにくくなることは間違いないだろう。

 

歳を重ねるとどうしても同年代かそれよりも少し上の年代と付き合うことが増えるように思える。これはこれで悪いことではないが、自分自身が老いてくると多少意識的に若い人と付き合える仕組みを生活の中に組み込まないとそのような機会が減り精神が老いやすくなってしまうように思えるのである。

 

常に若い世代と付き合うことは意識していきたいと思っている。

青春

Wiktionaryによると青春とは「夢や野心に満ち活力の漲る若い時代」のことである。

 

一般に青春は概ね10代から20代までの期間を指しているが私自身は青春は年齢ではなく精神に規定されると思っている。30代だろうが60代だろうが「夢や野心に満ち活力が漲って」いればそれは精神が若いことを意味しておりその人は青春の只中にいると言っていいだろう。

 

以前にも述べた通り夢とは将来起こりうるポジティブイベントのことであり、本質的には不確実性と同居している。そして若いうちは将来の不確実性が高いためポジティブイベントも期待できるため夢はあるが、歳を重ねると一般的には不確実性が減ってくる。そして最後は死という絶対的に確実なものがありその直前は不確実性がゼロとなる。

 

しかしこれはあくまでも傾向であって(必ずしも簡単ではないかもしれないが)歳を重ねても夢を持つことはできるし実際そのような人はいる。野心の定義も同じ出所によると「密かに抱いている大きな望み」なので夢を信じていれば概ね野心も持っていると言っていいだろう。「活力の漲る」という点に関しても夢や野心を実現しようとしていればその状態にあるといえるだろう。

 

つまり夢を抱いていられればその人は青春に生きていると言えるはずである。もちろん夢を持ち続けるのは簡単ではないし、不安の根源である不確実性を受け入れなければならないため苦しさもある。しかしそれを受け入れることで青春に生きられるのであればそれは決して悪いことではないはずである。

 

私自身、若いとは言えない年齢となりつつあるが自分としてはまだ青春に生きているつもりだしこれからも青春を続けたいと思っている。